おれば、わしもお前もこんなことにならずに済んだのだ。大石だけが、わしの心をいくらか知っている。そうだ、すべてが不慮のことなのだ。わしのばかばかしい災難なのだ。災難とあきらめて討たれてやろうか)
上野が、混乱した頭で、自分勝手なことを考えていると、大石は何かいい終って、短刀を差し出すと、
「いざ!」といった。
短刀を突きつけられると、上野の頭に、わずか萌していたあきらめは、たちまちまた影をかくした。自分の立ち場も言い分も、敵討というもののために、永久にふみにじられてしまう怒りが、また胸の中に燃え上っていた。
彼は、浅野主従、世間、大衆、道徳、後世、そのあらゆるものに刃向って行く気持で、その短刀を抜き放ってふらふらと立ち上った。
「未練な!」
「卑怯者め!」
(何が卑怯か、わしには正しい言い分があるぞ!)そう思いながら、あてもなく短刀をふり回していると、
「間《はざま》! 切れ!」と、大石がいった。
(大石にも、不当に殺される者の怒りが分からんのか)と思ったとき、
「ええっ!」と、掛け声がかかった。
底本:「菊池寛 短篇と戯曲」文芸春秋
1988(昭和63)年3月25日第
前へ
次へ
全25ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング