ものを、何も前年通りに……」
「どう仕上る?」
「それは、ここにあります」そういって、内匠頭は書状を差し出した。
「それは、とくと見た。しかし、そうたびたびの勤めではないし、貴公のところは、きこえた裕福者ではないか。二百両か五百両……」
「一口に、おっしゃっても大金です。出す方では……」
「とにかく、前年通りにするがいい」吉良の声は少し険しくなっていた。
「じゃ、この予算は認めていただけませんか」
「こんな費用で、十分にもてなせると思えん」
「おききしますが、饗応費はいくらの金高と、公儀で内規でもございますか」
「何!」上野は赤くなった。
「後の人のためにもなりますから、私このたびは七百両で上げたいと思います」
「慣例を破るのか」
「慣例も時に破ってもいいと思います。後の人が喜びます」
「ばか!」
「ばかとは何です」
畠山が、
「内匠っ!」といって、叱った。
「慣例も時によります」
内匠頭は、青くなっていいつづけた。
「勝手にするがいい」吉良は拳をふるわせて、内匠をにらみつけていた。
四
藤井が去ると、
「怪しからんやつだ」と、上野は呟いた。
用人が、
「浅野から」といって、藤井の持って来た手土産を差し出した。
「それだけか」
「はい」
「外に、何にも添えてなかったか」
「添えてございません」
「彼奴《きゃつ》め、近年手元不如意とか、諸事倹約とか、内匠と同じようなことをいっていたが、そうか」
上野は冷えたお茶を一口のんで、
「主も主なら家来も家来だ」
「何か、申しましたか」
「ばかだよ。あいつらは。揃いも揃って吝《けち》ん坊だ!」
「どういたしました」
「浅野は、表高こそ五万三千石だが、ほかに塩田が五千石ある。こいつは知行以外の収入で、小大名中の裕福者といえば、五本の指の中へはいる家ではないか。それに、手元不如意だなどと、何をいっている!」
「まったく」
「下らぬ手土産一つで、慣例の金子さえ持って来ん。大判の一枚、小判の十枚、わしは欲しいからいうのじゃない。慣例は、重んじてもらわなけりゃ困る。一度、前に勤めたことがあるから、今度はわしの指図は受けんという肚なのだろうが、こういうことに慣例を重んじないということがあるか。馳走費をたった七百両に減らすし、わしに慣例の金子さえ持って来ん。こういうこと、主人が何といおうと、家の長老たるべきも
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