甚兵衛の家。藁葺きの、大なれども汚き百姓家。左に土間、土間につづいて台所の右は八畳の居間、畳も柱も黒く光っている。入口の柱には、金比羅大神宮の大なる札を貼っている。その札も、黒くくすぶっている。八畳の奥は部屋のあることを示している。家財道具はほとんどなし。
母屋の左に接近して、一棟の建物がある。画《かぎ》られて、牛小屋と納屋とになっている。牛はいない。
幕開く。甚作と甚三とが、家の前庭で、「前掻き」と称する網を繕《つくろ》っている。(方形の形をして柄が付いている。小溝の鮒や泥鰌《どじょう》を掬《すく》うに用いるもの)しばらくすると、母のおきんが、母屋と牛小屋との間から、大根を二本さげて出てくる。冬の日の黄昏《たそがれ》近し。
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おきん 畜生! また大根を二、三本盗みやがった! 作、今度見つけたら背骨の折れるほど、どやしつけてやれ! どこのどいつやろう。
甚作 新田の権《ごん》が、昨日夕方裏の畑のところを、うろうろしていたけに、あいつかも知れんぞ。飢饉で増えたのは畑泥棒ばかりじゃ。
おきん 大根やって、今年は米の飯
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