が起ったぞ。綾郡《あやごおり》二十三カ村に、御年貢御免を嘆願の一揆が起ったぞ。
おきん なるほどのう。一揆でも起ろうぞ。ええ気味じゃ。
勘五郎 それでな、だんだんお城下の方へ押し寄せてくるいうのじゃ。
おきん なるほどのう。
勘五郎 それでな、もう端岡《はしおか》までは来とる、いう噂じゃけに、この村でも、加担するか加担せんか、今のうちに定《き》めとこうていうてな、八幡さまで、村の若い衆の集りがあるのじゃ。
おきん 恐ろしいことになったのう。
勘五郎 一揆もええがのう、後が悪いからのう、あんまり、有頂天になってやっとると、後で磔《はりつけ》じゃからのう。
おきん 恐ろしい、恐ろしい。飢えて死ぬと磔とどちらがええじゃろ
勘五郎 じゃ、俺は、急ぐけにな、みんな帰ったら、よこしてくれんかのう。村の集りにはずれると後が悪いぞ。
おきん ええわ、わかった。甚三と甚作とを探して、すぐやるけにな。
勘五郎 じゃ、ええか。暮六つまでには、集るんじゃぞ。
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(勘五郎去る。おきん、不安らしく考え込みたる後兄弟をたずねるべく、つづいて退場する。――間――牛小屋に物音がする。やがて、この家の長男の甚兵衛が、そこから現れる。つぎはぎした膝までしか来ない着物を着ている。憔悴している。右脚はなはだしく短く、ちんばを引く。ひそかに周囲を見回したる後、台所に忍び寄り、鍋の蓋を開け、まだ半煮えの大根を、がつがつ貪り食う。しばらくすると、背負籠を肩にしたる次男甚吉、表から帰って来る。兄が大根を食っているのを見つける)
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甚吉 何するだ! この泥棒猫め!
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(兄の襟筋を掴み引きずり出す)
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甚兵衛 (やや愚鈍らしく)われこそ何するだ! 何するだ!
甚吉 おのれ、おっ母の目を掠《かす》めて盗み食いをしやがる。われに、大根を食わせてたまるけ。
甚兵衛 わしやて、大根食いたいだ。この大根作ったのは俺じゃ。
甚吉 何を世迷言いうだ。作ったのは、われでもな、この家《うち》や、畑はおれの物じゃぞ。この畑にできるものはみんな俺の物じゃぞ。
甚兵衛 何いうだ。新田の藤兵衛伯父がいうた。われは長男じゃけにな、みんなわれの物じゃいうて。
甚吉 (激しくこづき回しながら)不具者《かたわもの》のくせに何いうだ。爺さんが、生きていたときに、庄屋様に願うて家屋敷とも俺の物になっているのだ。われは牛小屋でくすぶってりゃいいんだ。不具者のくせに、出しゃばるなよ。(激しくこづき回す)
甚兵衛 (激怒し)おっ母と兄弟三人とで共謀しやがって、長男のわしの物をみんな取っているのだぞ。この家《うち》の縁の下の塵までわしの物じゃ。
甚吉 何を、阿呆くさいことをいいやがるんじゃ。
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(さらに激しく、こづき回す。甚兵衛、こづかれながら手を振り上げて、甚吉の顔を殴《う》つ)
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甚吉 おのれ、殴《ぶ》ちゃがったな。
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(二人激しく格闘す。甚兵衛も、絶えず圧迫されながら、抵抗をつづける。そこへ母と一緒に兄弟二人帰ってくる)
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甚三 吉兄い。どうしたんじゃ。
甚吉 (甚兵衛を押えながら)この不具者めがな、今鍋の大根を、盗んで食うていやがるんじゃ。それでな俺が怒鳴りつけるとな、俺に食ってかかりゃがってな、俺の顔を殴ちゃがったんじゃ。
おきん 本当けい。この阿呆のど不具《かたわ》め。大根やこしお前の口へ入るものじゃねえだぞ。お前なんかに、粟の飯一杯も惜しいけどな、同じ人間の皮|被《か》ぶってるけにな、毎日一杯ずつ恵んでやっとるんじゃ。それを有難いとも思わんでようもようも盗み食いしやがった。吉、根性骨にしみるほどどやしつけてやれ。
甚三 おっ母、昨日畑の大根取ったのもこいつかも知れんぞな。
おきん そうじゃ。そうじゃ。それに違いない。みんなして、牛小屋の中へ追い込んでな。
甚兵衛 (まったく抵抗力を失いながら)なんぼ不具じゃとて長男の俺を牛小屋へ住わせて、粟の飯たった一杯ずつあてごうて……。
おきん 何いうぞ。この飢饉の時節に、粟の飯一杯じゃとて、惜しいぞ。吉、その頬げた一つひねってやれ。
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(甚吉は、いわれた通りにする)
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甚兵衛 ああ痛い! 痛い
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