たか。芥川としては、やり切れない噂に違いなかった。芥川は、堪らなかったと見え、「今後あの本の印税は全部文芸家協会に寄付するようにしたい」と、私に言った。私は、そんなことを気にすることはない。文芸家協会に寄付などすればかえって、問題を大きくするようなものだ。そんなことは、全然無視するがいい。本は売れていないのだし、君としてあんな労力を払っているのだもの、グズグズ言う奴には言わして置けばいいと、私は口がすくなるほど、彼に言った。
彼が、多くの作家を入れたのは、各作家に対するコムプリメントであったのが、かえってそんな不平を呼び起す種となり、彼としては心外千万なことであったろう。私が、文芸家協会云々のことに反対すると、彼はそれなら今後、印税はあの中に入れてある各作家に分配すると言い出したのである。私は、この説にも反対した。教科書類似の読本類は無断収録するのが、例である。しかるに丁重に許可を得ている以上、非常な利益を得ているならばともかく、あまり売れもしない場合に、そんなことをする必要は絶対にないと、私は言った。その上、百二、三十人に分配して、一人に十円くらいずつやったくらいで、何にもならないじゃないかと言った。私が、そう言えばその場は、承服していたようであったが、彼はやっぱり最後に、三越の十円切手か何かを、各作家の許にもれなく贈ったらしい。私は、こんなにまで、こんなことを気にする芥川が悲しかった。だが、彼の潔癖性は、こうせずにはいられなかったのだ。
この事件と前後して、この事件などとも関連して、わずらわしい事件が三つも四つもあった。私などであれば「勝手にしやがれ」と、突き放すところなどを、芥川は最後まで、気にしていたらしい。それが、みんな世俗的な事件で、芥川の神経には堪らないことばかりであった。
その上、家族関係の方にも、義兄の自殺、頼みにしていた夫人の令弟の発病など、いろいろ不幸がつづいていた。
それが、数年来|萠《きざ》していた彼の厭世的人生観をいよいよ実際的なものにし、彼の病苦と相俟って自殺の時期を早めたものらしい。
そういう点で、彼の「手記」は、文字通り信じてよく、あれ以上いろいろ憶測を試みようとするのは、死者に対する冒※[#「※」は「さんずい+賣」、読みは「とく」、第3水準1−87−29、24−下段16]である。あの中の女人が、文子夫人でないとしても、そ
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