勉強ばかりしていろというんですね。」
「そうだ、君は俺を放っておけばいいんだ。」
「では、今あなたは何がいけないというんですか。」
「君は白《しら》ばっくれるな、君は俺の最も大切な秘密を知っている。君はそれを発表してはならん。君は新聞に約束した。明日《みょうにち》発表することになっている。」
「その通りです。」
 ルパンは立ち上り拳を振《ふる》って空を切りながら呶鳴った。
「そいつは発表ならん!」
「発表させます!。」とボートルレは突然立ち上った。
 とうとう二人は対立した。ボートルレは急に偉大な力が彼の全身に燃えたかのようであった。ルパンの眼は猛虎のそれのように鋭く閃《ひら》めいていた。
「黙れ、馬鹿!」とルパンは吼えた。「俺を誰だと思っているんだ。俺は俺の思った通りにするんだ。貴様は新聞の約束を取り消せ!」
「嫌だ!」
「貴様は別のことを書け、世間で思っている通りのことを書いてそれを発表しろ!」
「嫌だ!」
 ルパンの顔は怒りのために物凄く、顔色は真蒼になった。彼は今まで自分のいうことを断られたことはなかった。彼は始めてこの年若な一少年の頑固な抵抗《さからい》に出会って気狂《きちが》いのように怒った。彼はボートルレの肩を掴んで、
「やい、貴様は何でも俺のいう通りにするんだ。やい、ボートルレ!貴様はあの僧院の土窖の中で発見された死体はアルセーヌ・ルパンに相違ないと書くんだ。俺は、俺が死んでしまったものと世間の奴らに思わせなければならないんだ。貴様は今俺がいった通りにしろ!もし貴様がそうしないな……ら」
「僕がそうしないなら?」
「貴様の親父は、ガニマールやショルムスがやられたと同じように、今夜誘拐されるぞ!」
 ボートルレは微笑した。
「笑うな!……返事をしろ!」
「僕は、あなたの思うようにならないのは気の毒とは思うんですが、僕は約束したんだから話します。」
「今俺がいった通りに話せ!」
「僕は本当のことをそのまま話します。」とボートルレは悪びれもせずに叫んだ。「あなたにはこの本当のことをいう誰はばからずそのままのことを高い声でいう、この喜びこの心持《こころもち》よさは分らないでしょう。僕は僕の頭の中で考えた通りのことをいうだけです。新聞は僕の書いた通りに発表発表されるんです。そうすれば世間ではルパンが生きていることも知ります。ルパンがなぜ死んだと思わせなければならないかも分ります。」彼は落ちつき払って、「そして僕のお父さんは誘拐なんぞされません!」
 二人はお互に鋭い眼光で睨み合って、物もいわず油断なく構えて、今にも血腥《ちなまぐさ》き[#「血腥き」は底本では「血醒き」]ことが起りそうに見えた。ああこの恐るべき闘争に勝つ者は誰ぞ。

            悲痛の打撃

 ルパンはやがて呟いた。
「今夜、午前三時、俺の中止命令がなければ俺の部下二名が、貴様の親父の室へ入り、言葉で欺《だま》すか、力ずくでやるか、どちらにしても親父をさらって連れ出し、ガニマールやショルムスがいる所へ送り込むことになっているんだ。」
と、言葉も終らぬうちにボートルレは高々と笑い出した。
「はははは大盗賊のくせに、僕がそんな用心はもう遠《とお》にしているということぐらい分らんかなあ、ははは、僕はそんな馬鹿じゃありませんよ。はははは」
 少年は両手をポケットへつっ込んで室の中をあちこち歩きながら、鎖につながれた猛獣にからかっているいたずらっ子のように気楽に力んでいる。彼はなお静かにつづける。「ねルパン君、君は君のやることなら間違いはないと思っているんですね。何という己惚《うぬぼ》れでしょう、君がいろんなことを考えるように、他の者だってやはり考えをめぐらしているんですよ。」
 少年は今こそ巨盗のあらゆる憎むべき行《おこない》に対して、痛烈に[#「痛烈に」は底本では「通烈に」]復讐の言葉を浴びせている。彼はなお、
「ルパン君、僕のお父さんは、あんな寂しいサボア県なんかにはいやしないんだよ。聞かせてあげようか、お父さんは、二十人ばかりの友人に守られて、シェルブールの兵器庫の役人の家にいるんです。夜になると堅く門を閉め、昼間だってちゃんと許しを受けないと入ることの出来ない兵器庫の中ですよ。」
 少年はルパンの面前で立ち止り、子供同志がべっかんこをする時のように、顔を歪めて嘲《あざけ》った。
「え、どうです先生!」
 しばらくの間ルパンは身動きもせずに立っていた。彼は何を考えているのであろう。今にも少年に飛び掛るのではないかとさえ思われた。
「え、どうです、先生?」とまた少年は嘲笑った。
 ルパンは卓上にあった電報をとり上げて少年の眼の前に差しつけながら、凄い落ちつきを見せていった。
「ごらん、赤ちゃん、これをお読み!」
 ボートルレは、ルパンのその態度にた
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