べずに、買いとって出ていったそうです。」
「それは何日だい?」
「何日?何日って今日です、今朝の八時です。」
「今朝?君は何をいっているのか?」
「この帽子は今朝売れたのです。」
「しかしこの帽子は今朝この邸園で発見されたんじゃないか。してみれば、それはとにかくその前に買われていなければならん。」
「しかし帽子屋ではたしかに今朝といっていました。」
 判事は驚いて[#「驚いて」は底本では「驚いた」]しきりに考えていたがふと飛び上って叫んだ。
「馭者だ!今朝我々を乗せてきた馭者を押《おさ》えてこい。早くとり押えてこい!」
 しかしその馭者はもういなかった。口実をつけて自転車を借りて逃げてしまったあとだった。警部はそのことを判事に報告してから、
「これがあいつの帽子と外套です。」
「帽子をかぶらずに出掛けたのか。」
「懐中《ふところ》から黄色い皮の帽子を出して被っていったそうです。」
「黄色い皮の帽子?そんなことがあるもんか、それは現にここにあるじゃないか。」
 検事が傍《かたわら》から薄笑いをしながら、
「実に面白い、帽子が二個ある……一個は我々の唯一の証拠であった真物《ほんもの》で、馭者の頭に乗って飛んでいった他の一個は偽物で、それが君の手にある。やあ!こいつは一杯喰わされたね。」
「馭者を捕まえろ!」と判事は呶鳴《どな》った。
「しかしその前に判事さん、もっと気をつけなければならないことがありますよ。まあこの紙切を読んで下さい。これは外套のポケットから出たものです。」
「外套というのは?」
「馭者の残していったものです。」
といいながら検事は四つ折にした紙を判事の前に出した。その紙切には鉛筆の走り書きがしてあった。
「もし首領《かしら》が死んだら、令嬢に仇《あだ》をするぞ。」

            怪青年記者

 この事件に一同は蒼くなった。
「伯爵」と判事は口を開いて「伯爵決して御心配なさらないで下さい。こんな脅迫《おどかし》があったって我々警察の方で十分警戒しているのですから、令嬢方も決して御心配は入りません。大丈夫です。それから今度は諸君《みなさん》のことですがね。」と判事は新聞記者に向って、「私は諸君《みなさん》方を信用して、この場に諸君《みなさん》たちがおられるのを黙っているのですが……」判事は何か思いついたらしくそのまま言葉を切ってしまって、二人の
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