こへまもなく船の来る音がした。ボートルレがよく暗《やみ》をすかして見ると、そこはちょうど船着場のようになっている。三人は乗り込んだ。
「よし、出発だ!」とルパンは部下へ合図した。船はすっかり蓋が閉じられた。それは海の底を走る潜航艇である。
艇は海の底を辷《すべ》るように走る。海草がゆらゆらと動く、長い黒い影がさっと通った。
「あれは水雷艇だ、大砲の音が聞えるぜ。」
船は矢のように走る。おおかたの魚《うお》は驚いて逃げてしまうが、中には傍へ寄ってきて、硝子のところからぎょろりとした眼玉で覗く奴もある。
「やあ、こいつは面白いや、まるで海底見物だ!」
魔の黒雲
艇はもう大丈夫だと思って上へのぼり始めた。そしてドイエップから少し離れた一つの小さな湾へ来てから、静かに浮び上った。
「ルパン湾!」とルパンが叫んだ。
ルパンは少年とレイモンドを助けながら上陸させ、部下にはエイギュイユ城へ様子を見にやった。ルパンはいった。
「ボートルレ君、我輩はここで農園を開いて、妻と母と共に、バルメラに成りすまして、平和な生活を送ろうと思うのです。紳士強盗はもはや死んだ。紳士百姓として生きるんだ。」
ルパンには始終つきそっているヴィクトワールという乳母があった。ルパンはその乳母をいつも母と呼んでいたのであった。
一人の男が向うから来て、叮嚀におじぎをしながら、怪しい英国人がこの町をうろついていたと告げた。
「ショルムスじゃないかな、もしそうだとすると、少し危いぞ、先生まだ怒っている最中だから。」
少し歩いていくと向うに建物が見え始めた。ルパンがこれから平和な生活を送ろうとする家であろう。その時一人の女が息を切って駆けてくる。
「あら、何か起ったのよ。」とレイモンドが叫んだ。
「何だ、何か起ったのか。」
「男が、今朝の英国の男が来て、……あなたのお母様を……」
その時あれ!という声がした。レイモンドは苦しげに声を絞って、
「あら!お母様よ……」
血の雨、血の涙
ルパンはふとレイモンドに飛び掛るようにして引き立てながら、
「おいで、逃げよう……お前真先に……」
が、ルパンはすぐ立ち止まった。
「いや、そうは出来ぬ、ちょっと待ってくれ。母が可哀想だ。レイモンド、ここにいてくれ。ボートルレ君、あとを頼む。」
一人の男が先頭で
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