にしてたおれることを、何よりも無念と思ったからであった。
「もう二年の辛抱じゃ」と、彼は心のうちに叫んで、身の老衰を忘れようと、懸命に槌を振うのであった。
冒《おか》しがたき大自然の威厳を示して、市九郎の前に立ち塞がっていた岩壁は、いつの間にか衰残の乞食僧一人の腕に貫かれて、その中腹を穿つ洞窟は、命ある者のごとく、一路その核心を貫かんとしているのであった。
四
市九郎の健康は、過度の疲労によって、痛ましく傷つけられていたが、彼にとって、それよりももっと恐ろしい敵が、彼の生命を狙っているのであった。
市九郎のために非業の横死を遂げた中川三郎兵衛は、家臣のために殺害されたため、家事不取締とあって、家は取り潰され、その時三歳であった一子実之助は、縁者のために養い育てられることになった。
実之助は、十三になった時、初めて自分の父が非業の死を遂げたことを聞いた。ことに、相手が対等の士人でなくして、自分の家に養われた奴僕《ぬぼく》であることを知ると、少年の心は、無念の憤《いきどお》りに燃えた。彼は即座に復讐の一義を、肝深く銘じた。彼は、馳せて柳生《やぎゅう》の道場に入った。十九の
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