なく取り置きました」といいながら、左の腹に静かに匕首《あいくち》の切っ先を含ませた。
甚兵衛は茫然として立ち上り、茫然として刀を振った。
しかし、打ち落した首を見ていると、憎悪の心がむらむらと湧いた。報恩の最後の機会を、惣八郎のために無残にも踏み躙《にじ》られたのだと、甚兵衛は思った。
惣八郎の書置きには、「甚兵衛より友誼《よしみ》をもって自裁《じさい》を勧められたるにより、勝手ながら」とことわってあった。
君命にも背かず、友誼《よしみ》をも忘れざる者というので、甚兵衛は、一藩の褒め者となった。そして殿から五十石の加増があった。彼はその五十石を、惣八郎から受けた新しい恩として死ぬまで苦悶の種とした。
その後、享保《きょうほう》の頃になって、天草陣惣八|覚書《おぼえがき》という写本が、細川家の人々に読まれた。そのうちの一節に、「今日|計《はか》らずも甚兵衛の危急を助け申候。されど戦場の敵は私の敵に非ざれば、恩を施せしなど夢にも思うべきに非ず。右後日の為に記《しる》し置候事」とあった。
底本:「菊池寛 短篇と戯曲」文芸春秋
1988(昭和63)年3月25日第1刷発行
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