城二十余町の処に控えて居た。前軍は鷲津、丸根、大高を側に見て、寺部の城に向い不意に之を攻めた。丁度|丑満《うしみつ》時という時刻なので、信長勢は大いに驚いて防いだが、松平勢は既に一ノ木戸を押し破って入り、火を放ったと思うとさっと引上げた。引上げたと思うと更に梅ヶ坪城に向い二の丸三の丸まで打ち入って同じ様に火の手を挙げる。厳重に大高城を監視して居た、丸根、鷲津の番兵達は、はるかに雄叫《おたけ》びの声がすると思っているうちに、寺部、梅ヶ坪の城に暗《やみ》をつらぬいて火が挙がるのを見て、驚き且ついぶかった。大高城に最も近い丸根、鷲津を差置いて、寺部なぞの末城を先きに攻める法はないと独合点して居たからである。怪しんで見たものの味方の危急である。取る物も取り合えず、城をほとんど空にして馳せ向った。我計略図に当れりと、暗のうちに北叟笑《ほくそえ》んだのは元康である。このすきに易々《いい》として兵糧を大高城に入れてしまった。
この大高城兵糧入れこそ、家康の出世絵巻中の第一景である。大高城兵糧入れに成功した元康は、五月更に大府に向い八月には衣《ころも》城を下した。翌三年三月には刈屋を攻め、七月、東広
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