所へでも上るんやけにな。梯子《はしご》乗りの上手な作《さく》でも、若旦那にはかなわんいいよりますわい。
義助 (苦笑して)阿呆なことをいうない。屋根へばかり上っとる息子を持った親になってみい。およしでも俺でも始終あいつのことを苦にしとんや。(再び声を張り上げて)義太郎! 早う降りて来んかい。義太郎! 降りんかい。……屋根へ上っとると人の声はきこえんのや、まるで夢中になっとるんや。あいつが上って困るんで、家の木はみんな伐ってしまったけんど、屋根ばかりはどうすることもできんわい。
吉治 私の小さい頃には、御門の前に高い公孫樹《いちょう》がござんしたなあ。
義助 うむ、あの木かい。あれは島中の目印になった木やがな。いつであったか、あの木のてっぺんへ義太郎が上ってな、十四、五間もある上でぱかんと枝の上に腰かけているやないか。俺もおよしもあいつの命はないもんやと思ってあきらめていると、またするする降りて来てな、皆あきれてものがいえなかったんや。
吉治 ヘへえ。まるで人間|業《わざ》でござんせんな。
義助 だから俺あ猿が憑《つ》いとると思うんや。(声をあげて)義やあ、降りんかい。(ふと、気を変えて)吉治! お前上ってくれんかい。
吉治 けど人が上ると、若旦那はきつうお腹を立てるけんな。
義助 ええわ、怒ってもええわい。上って引っ張り降してこい。
吉治 へいへい。
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(吉治、梯子《はしご》を持って来るために退場。その時、隣の人、藤作がはいってくる)
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藤作 旦那さん、今日は。
義助 やあ、ええ天気やな。昨日降した網はどうやったな、大小かかったかな。
藤作 根っからかかりゃしまへなんだわ、もうちっと季《しゅん》が過ぎとるけにな。
義助 そうやろうな、もうちっと遅いわい。もう鰆《さわら》がとれ出すな。
藤作 昨日|清吉《せいきち》の網に二、三本かかりましたわい。
義助 そうけい。
藤作 (義太郎を見て)また若旦那は屋根でござんすか。
義助 そうや、あいかわらず上っとるわい。上げとうはないんやけど、座敷牢の中へ入れとくと水を離れた船のようにしているんでな。ついむごうなって出してやるとすぐ屋根や。
藤作 けど若旦那のようなのは、傍《はた》の迷惑にならんけによござんすわな。
義助 あんまり迷惑にならんこともないでな。親兄弟の恥になるでな、こなに高い所に上って、おらんでいるとなあ。
藤作 けど弟さんの末《すえ》さんが町の学校でようできるんやけに、旦那もあきらめがつくというもんやな。
義助 末次郎《すえじろう》が人並にできるんで、わしも辛抱しとんや。二人とも気違いであったら生きとる甲斐がないがな。
藤作 実はな、旦那さん。よく効く巫女《みこ》さんが昨日から島へ来とるんでな。若旦那も一ぺん御祈祷《ごきとう》してもろうたら、どうやろうと思うて来ましたんやがな。
義助 そうけ。けど御祈祷しても今までなんべん受けたかわからんけどもな、ちょっとも効かんでな。
藤作 今度ござらっしゃったのは金比羅《こんぴら》さんの巫女さんで、あらたかなもんやってな。神さまが乗りうつるんやていうから、山伏《やまぶし》の祈祷とは違うてな、試してみたらどんなもんですやろ。
義助 そうやなあ。御礼はどのくらい要るもんやろ。
藤作 治らな要らんいうておりますでなあ。治ったら応分に出せいうとります。
義助 末次郎は、御祈祷やこし効くもんかいうとるけど、損にならんことやけに頼んでみてもええがなあ。
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(この時、吉治、梯子を持って入ってくる。竹垣の内へはいる)
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藤作 そんなら私は、金吉のところにいる巫女さんを呼んできますけにな。若旦那を降しといておくれやす。
義助 お苦労様やなあ。そんならええように頼んまっせ。
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(藤作を見送った後)さあ義《よし》! おとなしゅう降りるんだぜ。
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吉治 (屋根へ上ってしまって)さあ若旦那、私と一緒に降りましょう。こなな所にいると晩には大熱が出るからな。
義太郎 (外道《げどう》が近寄るのを恐れる仏徒のように)嫌やあ。天狗様が皆わしにおいでおいでをしとる。お前やこしの来る所じゃないぞ、なんと思うとるんや。
吉治 阿呆なこといわんと、さあ降りまあせ。
義太郎 わしにちょっとでも触ると天狗さまに引き裂かれるぞ。
吉治 (義太郎に急に迫って、その肩口を捕えながら下の方へ引下ろす。義太郎は捕えられてからはほとんどなんの抵抗もしない)さあ荒ばれると怪我をなさりまっせ。
義助 気付けて降すんやぜ。
吉治
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