れ、と口汚く罵って、それから、ぷんぷん怒りながら今度は自分で車を坂の方へ曳いて行きました。丁度その日は、向うのルーヴァンの町でお祭りがある前の日でした。で、金物屋は、早くその市場へ行きついて、金物の店を出すのに都合のいい場所をとろうといそいでいるのでした。ですからこんなことになった今、金物屋の癇癪は大へんなものでした。そのルーヴァンまでは、まだなかなかなんですもの。金物屋は、どこかに飼主にはぐれた犬でも居ないものか、いたら、なるたけ大きな奴をひっ捕えて、しばりつけてやろうと、悪ごすい目をきょろきょろさせながら、さもやり切れなそうに車をひいて行きました。パトラッシュは蹴こまれたままでいました。茫々と草のしげった溝のなかに――
その日、その街道は大へんなにぎわいでした。てくてく歩く人、驢馬に乗る人、あるいは二輪馬車、四輪馬車を走らす人、いずれも、お祭り気分で浮かれながらぞろぞろ行くのでした。もちろんその人達の目にも、倒れた犬はうつったでしょうが、みんな、そのまま行きすぎてしまいました。要するにたかが死んだ犬一ぴき、――それが、この地方でなんのめずらしいものですか。世界中どこへ行ったって、やはりなんでもないことなんでしょう。
しばらくすると、人波にもまれながら、腰の曲った、よぼよぼの跛《ちんば》のおじいさんが、やって来ました。別にお祭りに出かけるらしくもなく、みすぼらしいぼろを着て、埃の中をだまりこんでやって来ました。このおじいさんが、パトラッシュをみつけるとふしぎそうに立ち止り、草を分けてそばへ寄り、親切な目つきで、しげしげと犬のからだをしらべてみるのでした。
おじいさんのそばには、三才ばかりの、バラのような頬っぺたの、髪の房々《ふさふさ》した瞳の黒い子供がくっついていました。草は、その子の胸までもあるのでした。子供はおじいさんにつかまり、これは大へんだ、と言わんばかりに目をまるくして、可哀想な犬をじっとみつめていました。こうしてふたりははじめて会ったのでした。――子供のネルロと、大犬のパトラッシュとが。――
さて、ジェハンじいさんは、いろいろに骨を折って、ようやく犬のからだを、じき近くの、自分の小屋へ運びこみ、息のたえたこの犬を、心をこめて介抱してやりました。しかし、パトラッシュの倒れたのは、暑さと饑渇とつかれで、一時目がくらんだためですから、日かげへしずかに
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