して早晩、この交情を体よく打ち切る方法を考え始めたのである。ゼラール中尉は、ガスコアン大尉が沈黙してしまうと、勝利者だという自覚をもって、三十分余も彼の独断を主張したのである。
 その翌日も二人は快活に挨拶した。世間話もした。が、ガスコアン大尉は、自分の意見をなるべくいうことを避けていた、ただ争われない事実だけを話していた。「二二が四」といったようなことばかりを話すことに努めていた。彼はつまらぬ意見から、ゼラール中尉の反駁を惹起《じゃっき》するのを恐れたからである。
 が、こんな会話の上に、友情が育たないのはむろんである。ゼラール中尉とガスコアン大尉は、目に見えて離れていった。むろんゼラール中尉は、同じところにとどまっていたのであるが、ガスコアン大尉がだんだん後退をしたからである。大尉の方にはみるみるうちに、新しい別な友人が幾人もできた。
 が、二人の友情の自然の結末がどうなったかは分からなかった。なんとなればこの二人の交情も、欧州戦争の渦巻の中に巻き込まれてしまったからである。
 一九一四年の七月の下旬になると、リエージュの人心はすこぶる恟々《きょうきょう》たるものであった。リエージュの要塞もひそかに動員をして、弾薬の補充を行った。が、誰も欧州列強の間の協約の効力を十分に信じて、ベルギーの中立が絶対に安全であることを信じていたが、兵営の士官たちの間には、独軍がベルギーの中立を侵すという説を唱うる者があった。中でもゼラール中尉はその説の有力なる主張者であった。
 七月二十八日の夕方であった。フレロン要塞の将校集会所で恐ろしい激論が始まった。激しい声をきいた士官たちが急いでそこに駆けつけてみると、激論をしている士官はガスコアン大尉とゼラール中尉とであった。
 二人の主張はこうであった。ゼラール中尉は、独軍がフランスへ侵入する進路として、ベルギーの中立を破ってまずリエージュを衝《つ》くというのである。彼は戦術上からそれが独軍の採るべき唯一無二の方法であると極論した。が、これに対してガスコアン大尉は、協約の効力を力説して、ドイツがベルギーの中立を破ることは絶対にない。もしそんなことがあればそれはドイツが世界を敵とすることで、ただ自分で滅亡へ急ぐようなものである。聡明な独帝が、そんな暴挙に出るはずがないというのである。
 ガスコアン大尉は、この日も最初はいい加減なところで体《てい》よく手を引くところであったが、問題が自分たちに本質的に関係しているので、ついつい深入りをしてしまったのである。二人は熱狂して卓を鳴らしながら、政略上から、戦術上から、外交上から、散々に論じ合った。
 傍観者も議論が口で行われる以上、止める気はなかった。で、二時間近くも論戦は続いた。もう二人ともいうことは何も残っていなかった。
 と、平常に似合わず激昂していたガスコアン大尉は、最後に、
「時が証明するのを待とう」と叫んだまますたすたとその室を出ていった。
「むろん! お互いにさ」とゼラール中尉の激しい声が、ガスコアン大尉を追っていった。その翌日も翌日も二人は挨拶もしなかった。
 八月一日、ドイツがフランスに向って宣戦し、仏露がこれに応じた。大仕掛の殺人事業の序幕が開かれたのである。
 ベルギーを衝くか衝かぬかは、ベルギーにとっては死活の問題であった。人々は皆独帝の剣《つるぎ》が、他を指すことを心ひそかに祈っていた。ただベルギー人の中でゼラール中尉一人だけは、独軍の国境突破の報を今か今かと待ち受けていた。
 八月三日の日にゼラール中尉の期待がかなえられた。
 白独の国境からリエージュまでの地方は、ベサール川とヴェスドル川の流域である。樫《かし》や※[#「木+無」、第3水準1−86−12]《ぶな》の森林におおわれた丘陵がその間を点綴《てんてつ》していて、清い冷たい流れの激しい小川がその丘陵の間を幾筋も流れていた。
 八月三日になると、もう苔色《こけいろ》の軍服を着たドイツの軽騎兵がその間に出没し始めた。
 四日の日は、独軍の縦隊が、いくつも銀のように輝いて流れるヴェスドル川の渓谷に沿ってリエージュに向ってきた。リエージュを守るポンチス、ルマン、ロンサン、バルションの堡塁は、皆戦闘準備にかかった。が、何人《なんぴと》も滔々《とうとう》と限りなく続くドイツの大軍を見ては、不安と恐怖とにとらわれぬわけにはいかなかった。
 市民たちには、義勇兵を志願するものが多かった。元来リエージュの町は小銃製造地であったので、どの家にも一挺や二挺の小銃はあった。皆それを手にして思い思いの要塞へ駆け込んだ。
 要塞の士官たちも、皆決死の色を湛《たた》えていた。独軍の圧倒的の攻勢の前には、ただ死があるようにしか思えなかった。士官や兵卒は沈黙のうちに懸命の努力を尽していた。ただこうした悲観的
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