人の出方《でかた》が、それはそれは見事なお菓子、今のような餅《もち》菓子ではなく、手の入った干菓子の折に入ったのを持って来て、
『これは、染之助親方からのお届物です』と云うのです。私はそれを聞いた時、舞台の上の美しい斎世宮[#「斎世宮」に傍点]――その時は、菅原伝授手習鑑《すがわらでんじゅてならいかがみ》が芸題で、染之助は斎世宮《ときよのみや》になっていたのです――のまぼろしが消えてしまってその代りにあの馬道で逢った蒼黒い、頬のすぼんだ小男の面影が、アリアリと頭の中に浮んだのです。その瞬間、私は居たたまらないような不快を感じて、幕が閉ると、逃げるように小屋を出ました。無論、その干菓子などには、見向きもしませんでしたよ。
 そんな事があってから、半月ばかりの間は守田座の木戸を潜《くぐ》らなかったよ、又その中に何となく染之助の舞台姿が恋しくなって来るのですよ。何でもその年の盆興業でした。馬琴《ばきん》の八犬伝を守田座の座附作者が脚色したのが大変な評判で、染之助の犬塚信乃《いぬづかしの》の芳流閣の立ち廻りが、大変よいと云う人の噂でありましたので、私はまた堪らないような懐しさに責められて、守田座の木戸を潜ったのでしたよ。平土間のいつもの場所に坐っていると信乃になった染之助が、直ぐ私を見付けてしまいました。それは、長い間母に別れていた幼児が、久し振りに恋しい母を見付けたような、物狂わしいような、それかと云って、直ぐにも涙が、ほとびそうな不思議な眼付でありました。私は半月も来なかったことが、染之助に対して、何となく済まないように思った位でした。染之助の信乃は、相手の犬飼現八《いぬかいげんぱち》と、烈しい立ち廻りをしながら、隙《すき》のあるごとに私の方へ、燃ゆるような流瞥《ながしめ》を送っているのですよ。実際の染之助から、こんなに度々《たびたび》、見詰められては、一分も座に居られなかったに違いない私も染之助が信乃になっているばっかりに、何だか信乃の恋人の浜路《はまじ》にでもなったように、信乃から見詰められる事が胸がわくわくする程嬉しかったのですよ。私も、信乃から見詰められる度に、じっと見返したり、時にはニッコリと笑って見せたり、恋人から見詰められたと同じように、うっとりとなっていたのです。
 やがて、幕が下ってから、手水《ちょうず》を使いに廊下へ出ると、気の付かない間に、私を追い
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