の内で、いい賭場《とば》が開いていますぜ』と云うじゃありませんか。これで見ると、染之助という男は、こんな男を相手に賭博《とばく》を打つような身持の悪い男だと分りました。私は、悪夢が醒めたような心持で、怖しいもの汚らわしいものから、逃《のが》れるように逃げ帰ったのです」
「まあ、それでよかった。もし、お祖母さんが、そんな役者に騙《だま》されでもしたら、綾子なんかはどうなっていたかも分らない」と、私はホッとしたように云いました。
「ところが、まだ後日|譚《ものがたり》があるのですよ。……その日、私は家へ帰ってから、つくづく考えたのです。私が恋しいと思っていたのは、染之助と云うような役者ではなく、染之助が扮《ふん》している三浦之介とか勝頼とか、重次郎とか、維盛《これもり》とか、ああした今の世には生きていない、美しい凛々《りり》しい人達ではなかったかと、そう思うと、我ながら合点が行ったように思うのでした。お祖父さんに、散々|苛《いじ》められて世の中の男が、嫌《いや》になった私は、そう云う舞台の上に出て来る、昔の美しい男達を恋していたのかも分らなかったのよ。私は、そう思うと、素顔の染之助の姿が堪らない程嫌になって、日参のように守田座へ行ったのが、気恥しくなり、それきり守田座へは足踏みしなくなったのです」と、祖母は話を終りそうにしました。
「それぎりですか。それでもう、染之助とか云う人にはお逢《あ》いになりませんでしたか」と、私が後を話させるように質問しますと、
「だから、後日譚があると云ったじゃありませんか。半年ばかりは、守田座へ足踏みしなかったのですが、ある日の事娘が、
『お母さん、この頃はちっとも、お芝居に行かないのね。昨日、お師匠様の所で聞いたのよ。今度の守田座はそれはそれは大変な評判ですってね』と、云うじゃありませんか。娘を踊りのお稽古《けいこ》にやってあったのですが、そこで芝居の噂を聞いて来たらしいのです。素顔の染之助を見た時に感じた不愉快さが、段々醒めかかっていた頃ですから、私は芝居だけ見る分には、差支《さしつか》えはあるまいと思って、娘を連れて、守田座へ行って見たのです。芸題は忠臣蔵の通しで、染之助は勘平をやっているじゃありませんか。私はあの五段目の山崎街道のところで、勘平が――本当は染之助が、鉄砲と火繩とを持って花道から息せき切って駆けつけるのを見た時に、アッ
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