の効果は何処にあるのです。キリスト教にとっては、如何にも本懐の至りかも知れませんが、その男に依って、殺され辱しめられた多くの男女、もしくは私の如き遺族の無念は何処で晴らされるのです。幸にしてすべての被害者やその遺族が悉《ことごと》く基督《キリスト》教徒であり、左の頬を打れた時には右の頬を出すような人や、敵を愛し得るような人であれば坂下鶴吉の改宗を欣び、彼の欣々然たる死刑を欣んだでしょうが、私の如く姉夫婦を鶏か何かのように惨殺され、母までをその為に失ったものに取っては、坂下鶴吉が刑罰の効果を適当に受けることは、内心の絶対な要求であります。私は国家の善良な臣民として其事を、要求する権利があると思います。刑罰の効果が、宗教的感化に依って薄弱となっては堪らないと思います。世の中に『死ぬ者貧乏』と云う諺があります。坂下鶴吉の殺した人達は、私の知る限りでは、国家の良民であります。然るに、被害者なり被害者の遺族なりが国家の手に依って毫頭慰藉《ごうとういしゃ》を受けて居ないのにも拘らず悪人でも、坂下鶴吉の如き悪人でも生きて居る者には、宣教師との接見を許し、その改宗を奨励し、死刑の精神上に及ぼす効果を緩
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