をかけて、号泣しようと思いました時、私はふと義兄の安否を思いました。私が目を上げて室内を見廻すと、縁側へ面する障子が開いて居る事に気が付きました。丁度六畳間に足だけを置いて、身体の大部分を縁側の上に投げ出して寝そべって居るのは、義兄に違いありません。私は、姉の屍体を捨てて義兄の方へ駈け寄りました。が、両手を後手に縛られた義兄は、姉と同じように絞殺されたと見え刮《みひら》いた眼に死際の苦悶を見せながら、もう全身は冷たくなりかけて居ました。私は、その後手に縛られた両手を見ました時、腸《はらわた》を切り苛《さいな》むような憤と共に、涙が、――腹の底から湧き出すような涙が、潸々《さんさん》として流れ出ました。私は、狂気のように家から飛び出すと其処に居た刑事に、「誰が殺したのです。犯人は犯人は」と、叫びかけました。刑事には、私が狂乱したようにも見えたでしょう。私は、まだ右の手から離して居なかった樫の棒を握りしめながら、此の刑事にでも飛びかかりそうな気勢を示しました。刑事は、遉《さすが》に気の毒に思ったのでしょう。
「いやお察し申します。先刻見えました警部さんなども、大変気の毒がって居たようです。非常線を張りましたから、犯人は案外早く上るかも知れません」と、云いました。が、私は姉夫婦を殺された無念と悲しみとで一刻もじっとして居られんように思いました。が、何をしてよいのかどう行動してよいのか丸切り夢中で、ただ異常に興奮するばかりでした。私は息をはずませながら、
「犯人は強盗ですか、それとも遺恨ですか」と、訊きました。
「いやまだ判りませんが、多分は強盗でしょう。長生郡《ちょうせいぐん》と遣口《やりくち》が、同じだとか云って居ましたよ」と、刑事は答えました。私は、そう答える刑事の職業的な冷淡さが、癪に触るようにさえ思いました。姉夫婦が、悲惨な最期を遂げたのも、つまりは千葉県警察の怠慢であるように思いまして、私は此の刑事を頭から罵倒してやりたいようないらいらした気持をさえ感じました。その時、私の父は、近所の俥屋《くるまや》を起したと見え綱引で馳付けて来ました。私は、父の顔を見ると、一旦止まって居た涙が再び流れ出るのを感じました。父は、私の顔を見ると、しゃがれた声で、
「どうだ、おとしには怪我はないか」と、申しました。それには、子を思う親の慈愛が、一杯に溢れて居ました。私は、父の言葉を聴くと、胸が閉《ふさ》がって言葉が出ないのです。
「どうだい。一郎もおとしも怪我はないのかい」と、訊き直しました。私はすすり泣きながら、
「姉さんも、兄さんも、やられた」と、云いました。父は遉に声を立てませんでした。老眼をしばたたきながら、黙って家の中へはいって行きました。私が父の後から引返して見ますと、父は姉の屍体を半ば抱き起しながら、
「おとしおとし」と、背中を力強く叩いて居りました。が、そんな事で姉が蘇《よみがえ》る筈もありませんでした。父は、姉の屍体を放すと義兄の屍体を抱き上げながら、
「一郎一郎」と、同じように背中を叩いて見ました。が、兄の唇はもう紫色に変って居ました。父は、スゴスゴと立ち上ると老眼をしばたたきながら、
「おのれ! 酷いことをしやがる。酷いことをしやがる」と、云うかと思うと、瘠《や》せた右の手の甲で老顔を幾度もこすりました。私は父の悲憤を眼にしますと、再び胸のうちが湧き返るような激怒を感じました。
「俺は、諦めるが、お信はどう思うだろう」と云いました。そう云うのを聴くと、私は家に残って最愛の娘の安否を気遣って居る老年の母を思わずには居られませんでした。母がどんなに姉を愛して居るかを、知って居る私は此の惨事の報道が母に対してどれほど、致命的であるかを考えずには居られませんでした。父は、姉と義兄との屍体を等分に見て居ましたが、
「夫婦二人揃って、殺されるなんて、何と云う因果な事か……」と、云うかと思うと無念に堪えられないように歯噛みをいたしたようでありました。丁度、その時に戸外に、数台の車の音がしたかと思うと、さっきの刑事が入って来て、「今予審判事が出張になりました」と、云いました。私は、それでも予審判事が来たことを頼もしい事のように思いました。その人達の手に依って此の兇悪な犯人が一日も早く捕われることを祈らずに居られませんでした。
それから後のことは、簡単に申し上げましょう。私達は、尚、姉のあさましい死を、姉を何物にもまして愛して居た母に告げると云う、心苦しい仕事をしなけれはなりませんでした。それを聴いた時、母の狂乱に近い悲痛の有様は、今でもどんなに精しくでも申上げることが出来ます。父は母が必死に頼むにも拘わらず、姉夫婦の惨死の現場へは、母を行かせませんでした。棺に収めた姉の屍体に対し、僅かな名残りを惜しませただけでありました。
母は、姉
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