た道がいつもの二倍も三倍もの長い道のように思われました。が、私は、姉の家へ急ぎながらも、姉夫婦が殺されたとは、夢にも思いませんでした。ただ強盗に襲われた為に、気の弱い姉夫婦が、どんなに強い激動を受けただろうかと、そればかりが心配でした。殊に、その為に義兄の病気が重りはしないかなどと心配して居ました。姉夫婦の衣類などの中で目覚しいものは、皆私の家へ預けてありましたから、盗られたとしてもホンの小遣銭位だろうと思いましたから、その点は、少しも心配いたしませんでした。姉の家に近づくに連れて気が付くと、姉の家の雨戸が一枚開いて居て、其処《そこ》から光が戸外へ洩れて居るのが見えました。私は、姉夫婦が強盗に襲われた跡始末をして居るのだと思いました。私は一刻も早く顔を見せて、姉夫婦に安心させてやろうと思いまして、勢よく姉の家の門の中へ飛び込みました。すると、いきなり門の中の闇から、「コラッ誰だっ!」と、云って声をかける人がありました。私は強盗でないかと思って、ハッと身構えました。私は、それでも虚勢を張って、
「貴様こそ誰だっ!」と、怒鳴りました。
すると、闇の中から私に近づいて来た鳥打を被《かぶっ》た男がありました。前と丸切り違った落着いた声で、
「千葉署の刑事です、貴君は」と、訊きました。そう聴くと私はホッと安心して、
「そうですか。どうも御苦労です。私は角野一郎の妻の実弟です」と、云いました。すると、刑事は、
「それならば、どうかおはいりください。が、まだ検屍が済んで居ませんから、手を触れてはいけませんよ」と、申しました。私は、刑事にこう云われた時、頭から冷水を浴せられたように、ぞっとしました。
「えっ! 検屍! 誰が殺されたのです、角野ですか、妻ですか」と、私は急《せ》き込んで訊きました。
「まあ! 行って御覧なさい。お気の毒です」と、職業柄、こうした被害者を見馴れて居る刑事さえ、心から同情を表して居るようでありました。
私は、心の中で義兄かそれとも姉かと、思いました。義兄が抵抗した為に斬られたのであろうと思いました。肉親に対する私の利己的な愛は、やっぱり被害者が義兄であって姉でないことを、心|私《ひそ》かに祈って居ました。
門から、玄関迄は四間位ありました。私は玄関の格子を開けると、
「姉さん」と、呼んで見ました。内からは、寂としてなんの物音も聞こえないのです。その癖、電燈はアカアカと灯って居るようなのです。
「兄さん!」と、私は繰り返して見ました。が、やっぱりなんの物音も聞えないのです。私は何だか冷めたい固くるしい物が、咽喉からグングン胸の方へ下って行って、胸一杯に拡がるように思いました。格子を持って居る私の手が、ブルブル顫《ふる》えた為でしょう、格子が無気味に、ガタガタと動きました。私は、障子一枚の向うに姉夫婦の屍骸が横わって居るのを、マザマザと感じました。私は必死の覚悟を固めて玄関の障子をあけました。が、その二畳の間には、なんの異状もありませんでした。私は、怖る怖る次の四畳半の襖を開けました。その四畳半にも何の異状もありませんでした。が、ふと四畳半と六畳との間の襖が二尺ばかり、開かれて居る間から六畳の間を見ました時、私は思わず「姉さん!」と、悲鳴に似た声を出しました。それは、確かに姉の足です。敷かれてある布団から斜に畳の上に投げ出されてある色白な二つの足は、姉の両足に相違ありませんでした。その二つの足を見ると、私は今迄の恐怖を丸切り忘れて一気に六畳の間に駈け込みました。そこで私が如何なる光景を目撃しましたろうか。その当時から、足掛五年になる只今も私はその光景を思い出すごとに、胸が裂け四肢の戦《おのの》くような、恐ろしさと忿《いかり》とを感ぜずには居られないのです。
司法大臣閣下。――閣下は、閣下の肉親の方が兇悪なる人間に惨殺された現場を御覧になったことがありますか。否少くとも、閣下の肉親の方が他人に依って惨殺されたと云う御経験をお持《もち》でしょうか。もしこうした経験がお有りにならなければ、私がその光景に依って感じた怖ろしさと忿と悲しみとの混じった名状しがたい心持は、とても御想像も及ばないだろうと思います。
私の姉は、私のただ一人のとし子は、ついその前日私を微笑を以て送迎した姉は、髪を振り乱したまま布団の上に投げ出されたように倒れて居ましたが、その首に捲かれて居る細い紐を見ました時、私の全身は烈しい暴風のような怒の為に、ワナワナと慄えるのを覚えました。私は刑事が手を触れてはいけないと云う言葉も忘れていきなり、姉の頸《くび》からその呪うべき紐を解かずには居られませんでした。姉のあさましい死状《しにざま》や、烈しい苦悶の跡を止めた死顔の事などは申上げますまい。回想するさえ私には恐ろしいのです。姉のあさましい屍体に、私は両手
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