ませんか。生きていて血の通っている人間じゃありませんか。お母さまは夜中ふと目をさまして、自分の手で自分の胸を抱いてみるようなことはおありにならないのですか。道端の小さい花をみて生きていることの嬉しさがおさえきれないというようなことが一度でもおありにならないのですか。お母さまは……。
けい (いきなり、ぴしゃりと知栄の頬を打つ)
知栄 (驚いてちょっとの間けいの顔をみている)
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章介、入ってくる。中の有様にこれもちょっとまごつく。
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章介 どうしたんだね。
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知栄、いきなり立ち上って馳け出そうとする。
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章介 おい。どこへ行くのだ。
知栄 私はお父さまの所へ行きます。これからお父さまと一緒に暮すんです。
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出てゆく。
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章介 知栄。おい、知栄。……行ってしまった。
けい ……。いいんです。その方があの子の為にもいいのです。私は前からそう思っていました。これで私はほんとにひとりになってしまいました。何だか却《かえ》って、さっぱりしたような気がします。叔父さま、あなたも今度こそ行っておしまいになるんでしょう。さあ、いらっしゃい。私はもう驚きません。
章介 ところが、俺はもう決して、お前の傍から離れることはないだろう。世界中の者がお前から去って行っても俺はお前の傍についているだろう。
けい そうですか。何方でもいいんですがね。栄二さんは共産党員だったんだそうですよ。知栄は、自分が何をいっているんだか、自分でもわかってやしないんです。私は自分のやったことが間違っているとは思いません。それだのに私は、知栄にあんな風にいわれると、どきんとするのです。他の人がやったら立派な行《おこない》で通ることが、私がやるとみんな厭味で鼻持ならないことになってしまうんですね。出しゃばりでひとりよがりで冷たくて人間味がなくて……私にはそれがだんだんわかってくるのです。それでいてどうにもならないのですよ。皆が私から離れてゆくのが当り前だという気がするの
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