んなにどきどき、言ってるわ。(胸を抑える)
須貝 どら。(頭を近づける)
諏訪 (頭を突いて)彼方《あっち》へいらっしゃい、彼方へ。
須貝 危い。落っこちたらどうします。落ちて、頭がハチ割れたら。
諏訪 ハチ割れるもんですか、そんな頭が。
須貝 いや、いいです。構いません。どうせ役に立たない頭ですから。(諏訪に並んで坐る)
諏訪 あんまり近くへ寄らないで下さいよ。気味が悪い。
須貝 以前ならそうは被仰らなかった。
諏訪 妾は、謀叛人《むほんにん》には容赦しない方ですよ。これからもずうっと厳しくします。
須貝 ですが直接事を起させたのはあなた御自身なんですよ。
諏訪 藪をつついて蛇を出したと言うわけね。そう言うことと知ったら、早く追い出せばよかったんだわ。自惚《うぬぼ》れないで下さいよ。あなたなんか、なんです。あなたなんか……。
須貝 僕? 僕は……。
諏訪 そうよ。須貝の鼻ったらし小僧。妾はね、あなたを一番怒らせる言葉を探しているのよ。
須貝 何と言われたって、怒りゃァしませんよ。御安心下さい。
諏訪 ああ、苛《い》ら苛《い》らしてくるわ。
須貝 心を静めて下さい。僕は、あなたを怒らせる計画なんかしてやしません。
諏訪 いいわ。妾も、怒らないことにします。
須貝 有難う御座います。
諏訪 妾が怒っちゃァ、御自分が勝ったとお思いになるでしょう、あなたは。
須貝 理由は、如何にもせよ、兎に角御立腹下さらないのは感謝します。
諏訪 感謝なんかしないで下さい。妾は、あなたの被仰ることなんか取上げませんの。妾もあなたとは親子ほど年が違うんだから……。
須貝 そうでもありません。姉弟ほどでしょう。
諏訪 (早口にたて続けに云う)妾が、あなたに今迄よくしてあげたのも、今あなたが、そんな後先《あとさき》見《み》ずな莫迦なことを被仰った後で、平気でいるのも、つまり妾があなたを相手にしてない証拠だと思って下さいよ。よござんすか。
須貝 はあ。
諏訪 妾は、今の暮らしにちっとも不平なんかありませんの。充分満足していますの。主人は妾を自由に放っといて呉れます。難を言うと少し放っとき過ぎるくらいのものだけど、でもそれは、大した瑕《きず》じゃァないでしょう。世話をやき過ぎるのよりは、やかな過ぎる方が、どっちかと言えば我慢し易いのよ。
須貝 そう言うことになりますね。
諏訪 それに、暮らし向きも
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