ほんとに、行ったことは行ったのよ。そしたらね、よし子さんが、帯留《おびどめ》ね、先《せん》から言ってたでしょう、あれを買いに行くから付き合って呉《く》れって言うの。
真紀 お裁縫は厭だし、丁度幸いと言うところね。
あさ子 でもお友達がそう言うもの仕方がないわ。おつきあいよ。
真紀 此の間お師匠さんにお目にかかったら、何て仰言《おっしゃ》ったと思う? あなた。
あさ子 なんて?
真紀 止《よ》そう。可哀そうだから。
あさ子 あらあら母さん、何んて仰言ったのよ。言いかけといて止めるの? そんなことってないわ。さあ、母さんったら。
真紀 何です? それは。あなたいくつ?
あさ子 だって。じゃ言って呉れる?
真紀 薬学校の方じゃ優等生だったそうですが、お裁縫の方じゃ劣等生です、って。卒業の見込無いそうですよ。
あさ子 まあ! 嘘でしょう。
真紀 自分で訊《き》いてみるといい。
あさ子 あたしが訊いたら、そのとおりって仰言るにきまってるわ。
真紀 自分でわかってれば、それでいいさ。
あさ子 そうじゃないの。
真紀 あなた、自分で、いけないって言われることがわかってれば、少しは精を出すものよ。
あさ子 違うんだったら、母さん。お師匠さんはあたしを揶揄《からか》うのよ、そんな風に言って。
真紀 あきれたひとだ。それで、あなた自分では一人前の腕のつもり?
あさ子 卒業の見込み無し、ってほどではないと思うわ。
真紀 (呆《あき》れた感じで)ふむん!
あさ子 何よ、母さん。
真紀 だってあなた。(笑う)
あさ子 厭な母さん。
真紀 あなたのお裁縫は、私が見たって、到底《とうてい》卒業の見込みはありゃしないよ。
あさ子 あら。(悄気《しょげ》て)困るわ。あたし、ちっとも怠けてなんかいやしないのよ。だけど、あれでしょう三年間ちっともお針なんか持たなかったんだもの。そりゃ、女学校の時分はやったけれど。
真紀 そうかな、女学校の時分だって、大概母さんが代ってやっていたようよ。
あさ子 そうだったかしら。
真紀 厭だよ、此《こ》のひとは。そうだったかしらもないわ。
あさ子 でも、古い話だから憶えてやしない、あたしは。
真紀 させられた方で忘れないからいい。
あさ子 母さんは物憶えのいい方よ、どっちかって言うと。
真紀 あなたにはかなわない。
あさ子 どうして?
真紀 どうしてでも。(笑う)
あさ
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