でも白刃《しらは》と白刃と打合う中へ飛びこまなければならぬ身ではないか。こんなことではならぬならぬと思いながら、思えば思うほど腕が萎《な》えるような気がして、どうにもならない。彼はただ暗がりの中にまじまじと眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みひら》いていた。
 そのうちにどこかで一番鶏《いちばんどり》が鳴いた。
「もう夜が明けるのかしら?」
 彼は夜着をはぐってもう一度顔を出した。が、宵《よい》まどいした鶏《とり》でもあったか、つづいて啼《な》く鳥の声も聞えなかった。
「そうだ、今のうちに決行しなければ、俺はいよいよ不義者になってしまうのだ!」
 彼は一思いにがばと跳《は》ね起きて、いきなり壁ぎわに寄せておいた小刀を取るなり、すらりとその鞘《さや》を払った。そして、行灯《あんどん》の灯影《ほかげ》に曇りのないその刀身を透してみた。新刀ながら最近|研師《とぎし》の手にかけたものだけに、どぎどぎしたその切尖《きっさき》から今にも生血《なまち》が滴《したた》りそうな気がして、われにもなく持っている手がぶるぶると顫《ふる》えた。
「あなた、お目覚めになりましたか」と、不意に背後からおしおが声を懸けた。
 小平太はぎくりとして、思わず振返った。そのはずみに、手に持った白刃がぎらりと闇に光った。それが眼に入ったのか、
「まあ、あなた!」と言ったまま、おしおはいきなり飛び起きてしまった。そして、
「あなた、どうなされました? 気でも狂ったのか、そんなものを手に持って!」と、やにわに男の腕に縋《すが》りついた。
「うむ、待て、危殆《あぶな》い! 待てと言ったら待て!」と、小平太は狼狽《うろた》えながら、その手を振り放そうとした。
「いえいえ放しませぬ、訳を話してくださらぬうちは、けっしてこの手を放すことではござりませぬ」と、女はいよいよ力を籠《こ》めて、一心に武者振《むしゃぶ》りついた。
「話す話す、訳を言うからその手を放してくれ」と、小平太はようよう女の手をほどいて、刀を鞘《さや》に納めた。
「さ、早う言ってくださいませ」と、女はその刀を取って自分の背後《うしろ》へ片づけてから、男の前に膝をすすめた。「わたしというものもある身で、短気な心を出さんしたその訳を、有様《ありよう》に言って聞かせてくださいませ」
「話すと言った上は、そう言わんでも、きっと話して聞かせる」と
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