。天下の直参《じきさん》として、そんなことを聞き捨てにはならぬ』と言い張って、どうしても承知しない。そこで、叔父の言葉に従わなければ、大事が漏れて御一統にも難儀をかけるから、恥を忍んで身を退くと断って、連盟から脱退したということだよ。なるほど、その言分だけを聞けば、いちおうもっとものようにも思われるが、そのじつはどうだか分ったものじゃないね。それほど儀を重んずる心があるなら、なぜ自分からまず腹を切らないのだ? 命を捨てたら、どんな分らない叔父でも、まさか一統に迷惑を懸けるようなこともしでかすまい。それをしえないで、おめおめと養子になって生き延びているのは、何といっても命が惜しいからだよ。ね、そうじゃないか」
「そうだ、命が惜しいからだ」と、小平太は反射するように言った。実際、彼は自分でも何を言っているか分らなかった。彼はただ郡兵衛の脱盟した前後の事情のあまりによく自分が兄から言われた言葉に似ていることだけが分っていた。そして、自分が郡兵衛の立場に置かれたらどうするだろうと、そればかり考えていた。
 その晩横になってからも、小平太はやっぱり中村鈴田両人のことが気になって、どうしても寝つかれなかった。中田理平次一人の時は、まだしも考えなおした。が、その後からまた二人の反逆者が出た。しかも、自分が朝夕顔を合せていた者の中から出た。彼は考えこまずにはいられなかった。
「二人はさんざ勘平から恥じしめられた。が、その代りに命を助かった。そうだ、恥を忍べば、まだ助かる道はあるのだ」
 そう思って、小平太は自分ながらはっとした。武士が命を惜しむの、卑怯者だのと言われたらそれまでだ。それが最後の宣告である。彼はまだそれを超越するほど頽廃的《たいはいてき》になってもいなければ、またそれほど人として悪摺《わるず》れてもいなかった。
「そうだ、高田郡兵衛が最初の脱盟者になって、俺が最後の脱盟者になる? そんなことはありえない、断じてあってはならない!」
 彼は一晩中|輾々反側《てんてんはんそく》して、やっと夜明け方にうとうととした。

     九

 師走《しわす》の二日には、深川八幡前の一|旗亭《きてい》に、頼母子講《たのもしこう》の取立てと称して、一同集合することになっていた。討入前の重大な会議のこととて、その日は安兵衛も、勘平も、小平太も打揃《うちそろ》うて午過ぎから出かけた。
 
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