屋酒に酔い痴《し》れながら、片時《へんじ》も仇討のことを忘れなかったように、自分も女のために一大事を忘れようとは思わない。それだけにしばしの不埓《ふらち》は容赦《ようしゃ》されたいというのが、せめてもの彼の願いであった。そして、暇《ひま》さえあれば、足は柳島の方へ向った。
四
ところが、おしおの母親は、十一月の半ばから陽気のせいか、どっと重態《じゅうたい》になって、娘の精根を尽した介抱も甲斐なく、十日余りも悩みに悩んだあげく、とうとう死んで行った。おしおは身も浮くばかりに泣いた。そばにいた小平太も、母親がわが身の苦しさも忘れて、息を引取る間ぎわまで、「おしおのことを頼む頼む」と言いつづけにしたことを思うと、何だか目に見えぬ縄《なわ》で縛《しば》られているような気がして、ぼんやり考えこんでしまった。が、これまでの行きがかりからいっても捨ててはおかれないので、同志の前は大垣の支藩戸田|弾正介氏成候《だんじょうのすけうじしげこう》の家来で、彼には実兄にあたる山田新左衛門の許《ところ》に世話になっている母親の病気と繕《つくろ》って、二日ばかり同宿の家を明けて、型ばかりの葬式でも出させるようにした。
で、それがすんでからいったん宿へ帰ったが、気になるので、一日置いてまた出かけてみた。おしおはもう片時《かたとき》も小平太のそばを離れない。「どんな苦労でも厭いませぬから、どうかわたしをおそばへ引取ってくださいませ。一人の母にさえ別れては、こうしているのが女の身では心細うてなりませぬ」と、男の膝《ひざ》に縋《すが》ってかき口説《くど》いた。
「そう言《い》やるのももっともじゃが、わしも今では他人の家に厄介《やっかい》になってる身……」
「では、どうぞあなたがここへ引移ってくださいませ。こんな穢《むさ》い所でお気の毒ですが、たとい賃仕事《ちんしごと》をしてなりとも、わたしはわたしで世過《よす》ぎをして、あなたに御迷惑は懸けませぬ」と、女の腰はなかなか強い。
これには小平太も当惑した。心の中では、こうしてだんだん身抜きのできない深みへはまってきた自分の愚しさが、何よりもまず悔《く》いられた。が、今となってはどうにもしかたがないので、一時|遁《のが》れの気休めに、
「それもそうだが、わしもいつまで浪人をしているつもりでもない。戸田様に御奉公をしている兄にも頼んで、方々
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