。仇討は吾々だけで十分遣《や》ってみせるよ」と言った。
 勘平もそれには異存がなかった。
 とにかく、一時百二十余名に上《のぼ》った義徒の連盟も、江戸へ集まった時には、こうして五十人余りに減ってしまった。が、それだけにまた後に残ったものの心はいっそう引締ってもきた。少なくとも、人数の減少によってぐらつくようには見えなかった。
 が、十一月の二十日になって、麹町《こうじまち》四丁目|千馬《ちば》三郎兵衛の借宅に、間喜兵衛、同じく重次郎、新六なぞといっしょに同宿していた中田理平次が、夜逃げ同様に出奔《しゅっぽん》したという知せが同志の間に伝わった。江戸へ下った者はまさかだいじょうぶだろうと思っていただけに、同志もこれには吐胸《とむね》を吐いた。現在同志と思っている者も宛にはならぬというような感情も湧いて、互に相手を疑うような気持にもなった。中にも、小平太は少なからぬ衝撃《しょうげき》を受けた。
「そうだ、同志も宛にはならぬ。だが、俺はどうだ、俺は宛になるか」
 そう思った時、彼はぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]として思わず身を竦《すく》めた。彼といえども、最初連盟に加わった時から、一死はもとより覚悟していた。仇家《きゅうか》に討入る以上、たといその場で討死しないまでも、公儀の大法に触れて、頭領始め一同の死は免《まぬか》れぬということも知らないではなかった。が、一方ではまた、仇討は仇討だ、君父の仇を討ったものが、たとい公儀の大法に背《そむ》けばとて、やみやみ刑死に処せられるはずはない。お上《かみ》でも忠孝の士を殺したら御政道は立つまいというような考えが、心の底にあって、それが存外深く根を張っていたらしい。
「だが、相手には何しろ上杉家という後楯《うしろだて》がある」と、小平太は今さらのように考えずにはいられなかった。「その上杉家はまた紀州家を仲にして将軍家とも御縁つづきになっているのだ。去年三月の片手落ちなお裁《さば》きから見ても、また今度の大学様の手重い御処分から見ても、吉良家に乱入したものをそのまま助けておかれるはずはない。必定《ひつじょう》一党の死は極《きわ》まった!」
 彼は頸《うなじ》の上に振上げられた白刃《はくじん》をまざまざと眼に見るような気がした。同じように感ずればこそ、理兵次も垢《はじ》を含んで遁亡《とんぼう》したものに相違ない。といって、自分は今さら命惜し
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