出しているのもあった。そこにはまた赤々と褐色の顔をして、広い帯を締めた西班牙《スペイン》種の玉葱があって、西班牙の坊さんのように勢いよく肥え太ってぴかつきながら、娘っ子が通りかかる度に、淫奔で狡猾そうな眼附きで棚の上からそっ[#「そっ」に傍点]と目配せしたり、吊り上げてある寄生樹を真面目腐った顔で見遣ったりしていた。(註、聖降誕祭では婦人が寄生樹の下を通ると、それに接吻してもいいそうな。)そこにはまた梨子だの、林檎だのが色盛りの三色塔のように高く盛り上げられていた。そこにはまた葡萄の房が、店主の仁慈《なさけ》で、通りすがりの人が無料で口に露気を催すようにと、人目に立つ鉤にぶら[#「ぶら」に傍点]下げられていた。そこにはまた榛《はしばみ》の実が苔が附いて褐色をして、山と積み上げられていた。そして、その香気で、森の中の古い小径や、枯れた落葉の中を踝まで没しながら足を引き摺り引き摺り愉快に歩き廻ったことを想い出させていた。そこにはまた肉が厚く色の黒ずんだノーフオーク産の林檎があって、蜜柑や檸檬の黄色を引き立たせたり、その露気の多い肉の締った所で、早く紙袋に包んでお持ち帰りになって、食後に召上れと切に懇願したり嘆願したりしていた。これ等の精選した果物の間には、金魚銀魚が鉢に入れて出してあったが、そんな無神経な血の運りの悪い動物でも、世の中には何事か起っていると云うことを感知しているように見えた。そして、一尾残らずゆっくりした情熱のない昂奮の下に彼等の小さな世界をぐるぐると喘ぎながら廻っていた。
食料品屋! おお食料品屋! 恐らくは一二枚の雨戸を外して、自余《あと》は大概締めてあった。だが、その隙間からだけでも、こんな光景がずらりと見えるんだ! それは単に秤皿が帳場の上まで降りて来て愉快な音を立てているばかりではなかった。また撚糸がそれを捲いてある軸からぐるぐると活発に離れて来るばかりではなかった。また缶が手品を使っているようにからからと音を立ててあちこち転がっているばかりではなかった。また茶と珈琲の交じった香気が鼻に取って誠に有難かったり、乾葡萄が沢山あって而も極上等に、巴旦杏が素敵に真白で、肉桂の棒が長くかつ真直で、その他の香料も非常に香ばしく、砂糖漬けの果物が、極めて冷淡な傍観者でも気が遠くなって、続いて苛々して来るほどに、溶かした砂糖で固めたり塗《まぶ》したりされて
前へ
次へ
全92ページ中45ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森田 草平 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング