うに見えた。いろ/\な同人雜誌の記者と交はつて見たり、又は油繪を習はうなぞと云ひ出して見たりした。私はおしづさんを津田青楓君に紹介しました。おしづさんは作品にも表はれて居る通り、初心《うぶ》なあどけない所と共に、一方には又非常に器用だちな所がある。行く所として可ならざるはなしと云ふ工合で、畫の方でも素人としては誠に器用な、其上何處かぎろりとした所があるやうに私どもにも見受けられた。津田君も可愛がつて指導して居られるやうでした。が、さうかうして居るうちに、最初の病氣の結核菌が未だ體内に殘つて居て、肺を冒すやうに成つたと云ふので、おしづさんは伊豆の大島へ轉地療養をするやうに成つた。何でも私の宅へ來てから三年目の夏だつたらうとおぼえて居ます。おしづさんは大分悲觀して、最う一生島で暮して、内地へは歸らない。私とも生き別れのやうなことを云つて出立しました。
處が大島には上野山清貢君が矢張畫をかきに來て居て、二人の間に愛が成立した。そして、十箇月許り島に逗留した後で、二人は阿母さんと一緒に手を携へて歸つて來ました。二人の結婚には親戚の間に大分反對があつたやうでした。つまり最初にも述べたやうに、おしづさんのやうな身體に成つた以上は、獨身で終るのが正當だ、あれで結婚なぞするのは、見つともないと云ふやうな理窟からだと聞きました。が、それは餘りにいはれのない反對で、中の兄さんと云ふのが一人で皆の矢面に立つて、二人を結婚させたと云ふことです。私も無論それに賛成でした。想ふに、文藝と云つた處で沙門成道の道とは違ふ。それに一向專念して、浮世の事は忘れて、尼にでも成つたやうな氣で一生を暮す――そんな事が出來るものでない。寧ろおしづさんは蝙蝠傘を慕つたと同じやうに、世間が己れに與へまいとするものに一層心を惹かれたのではあるまいか。今から思ひ合はせると、おしづさんが文學だけに滿足されないで、繪畫其外いろんな事に手を出したがつたのも、矢張自分が求めて居るものゝ與へられない暗中摸索ではなかつたらうか。それなればこそ、上野山君の許へ行つて初めて本當に落着くことが出來た。私は何うもさう考へるのを至當のやうに思ふ。
それにおしづさんは作家としての好い素質を持ちながら、一方では又非常に家庭的な女でした。身體さへ滿足であつたら本當に好い世話女房にも成り得たことゝ信ずる。あんな不自由な身體をしながら、片時も手を休めて居たことがない。創作をする傍、赤ン坊の着物も縫へば、お芋の皮も剥く。いや、赤ン坊の着物を縫ひ/\、お芋の皮を剥く傍創作をしたのでした。實際、おしづさんは勝手元の料理が上手でした――尤も、多少飯事《まゝごと》のやうでもあつたけれど。私の家は老女《としより》始め舊式な女ばかり揃つて居る家ですが、其の私の家へ始めてフライ鍋を輸入して、手製の洋食が喫《た》べられるやうにして呉れたのはおしづさんでした。さう、あの子が來出した初めの頃です。臺所の板の間《ま》へぺちやんこ[#「ぺちやんこ」に傍点]と坐つて、新に買はせたフライ鍋や、ヘツトや、チーズや、パン粉を膝の周りに引寄せながら、あの可愛らしい手で――おしづさんは決して美人ではなかつたが、手だけは尖細《さきぼそ》の、あれが圓錐型《テーパがた》とでも云ふでせう、非常に美しい手をして居ました――米利堅粉を捏《こ》ねて、始めてコロツケを造つて喰はせて呉れたことを今でもおぼえて居る。
上野山君と結婚してから、間もなくおしづさんは二人で伊勢から鳥羽、京都の邊へ半年餘りも旅行しました。あの時代がおしづさんの一生の花時代のやうに外間からは想像されます。其の代り隨分難儀もした樣でした。何しろ親戚では結婚に反對した位だから、二人の熱烈な、同時に無力なロマンチケルに對して、丸で補助と云ふものをして呉れませんでしたから、又二人の方でも、それを受けませんでしたから。併し物質的に苦しむのと同じ比例に於いて、二人は精神的に滿足だつたらうと信じます。そして、特殊な運命で結び附けられた二人は、なか/\物質的の苦痛位で醒めるやうな夢ではなかつたらうと思ふからです。で、互に滿足した二人は滅多に私の家へも寄り附きませんでした。其間に四谷見附の花家とかと往來《ゆきゝ》して居たやうですが、其邊の悉しい話は私は殆ど知らない。只一昨々年の暮の大晦日の前の日と云ふに、上野山君がおしづさんが子を生んだと云ふので、私の家へ駈け込んで來ました。それから又五六箇月の間頻繁に往來をしましたが、夏の初めに成つておしづさんが又喀血して、茅ヶ崎へ轉地することに成りました。二人が茅ヶ崎へ移つてから更に病勢が宜しくないと云ふので、入院の便を計るために、私が二人と親戚との間を調停したのが妙な誤解を招いて、二人はそれから私の家へ來なく成りました。尤も、おしづさんからは一二度手紙を貰つたやう
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