にはそれを開こうともしないで、唯そのままの草原にして置いたので、普通にそれを三崎町の原と呼んでいた。わたしが毎月一度ずつ必ずその原を通り抜けたのは、本郷《ほんごう》の春木座《はるきざ》へゆくためであった。
春木座は今日《こんにち》の本郷座である。十八年の五月から大阪の鳥熊《とりくま》という男が、大阪から中通《ちゅうどお》りの腕達者な俳優一座を連れて来て、値安興行をはじめた。土間は全部開放して大入り場として、入場料は六銭というのである。しかも半札《はんふだ》を呉れるので、来月はその半札に三銭を添えて出せばいいのであるから、要するに金九銭を以って二度の芝居が観られるというわけである。ともかくも春木座はいわゆる檜《ひのき》舞台の大劇場であるのに、それが二回九銭で見物できるというのであるから、確かに廉《やす》いに相違ない。それが大評判となって、毎月爪も立たないような大入りを占めた。
芝居狂の一少年がそれを見逃す筈がない。わたしは月初めの日曜毎に春木座へ通うことを怠《おこた》らなかったのである。ただ、困ることは開場が午前七時というのである。なにしろ非常の大入りである上に、日曜日などは殊に混雑
前へ
次へ
全408ページ中49ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング