の繁昌は今日の十分の一にも及ばなかったに相違ない。
 満巻上人のむかしは勿論、曾我五郎の箱王丸《はこおうまる》が箱根権現に勤めていたのも遠い昔であるから、それらの時代の回顧はしばらく措《お》いて近世の江戸時代になっても、箱根の関守《せきもり》たちはどの程度の繁昌をこの夜に見出したであろうか。第一に湖畔の居住者が少ない。遊覧客も少ない。今日では流燈の数およそ一千箇と称せられているが、その燈籠の光も昔はさびしいものであったろうと察せられる。
 往来ばかりでなく、湖畔の旅館はみな満員である。私たちは車を降りて、空《す》いていそうな旅館にはいると、ここもやはり満員、広い食堂に椅子をならべて見物席にあててあるが、飲みながら観る者、食いながら観るもの、隅から隅まで押合うような混雑で、芸妓らもまじって騒いでいる。東宝映画の一行もここに陣取って、しきりに撮影の最中であった。
 燈籠は五色で、たなばたの色紙のようなもので貼られてある。それが大きい湖水の上に星のごとく乱れているのであるから、いかにも一種の壮観と云い得る。燈籠を流す舟のほかに、囃子の舟もまじっていて、太鼓の音が水にひびいて遠く近くきこえる。
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