秀尼《てんしゅうに》の墓がある。かれとこれとは同じような運命を荷《にな》って生まれたとも見られる。芝居や浄瑠璃で伝えられる将門の娘|瀧夜叉姫《たきやしゃひめ》よりも、この尼の生涯の方が詩趣もある、哀れも深い。
 尼は清い童貞の一生を送ったと伝えられる。が、わたしはそれを讃美するほどに残酷でありたくない。塩竈の町は遠い昔から色の港で、出船入り船を迎うる女郎山の古い名が今も残っている。春もたけなわなる朧《おぼろ》月夜に、塩竈通いのそそり節が生暖い風に送られて近くきこえた時、若い尼は無念無想で経を読んでいられたであろうか。秋の露の寒い夕暮れに、陸奥へくだる都の優しい商人《あきうど》が、ここの軒にたたずんで草鞋《わらじ》の緒を結び直した時、若い尼は甘い酒のほかに何物をも与えたくはなかったであろうか。かれは由《よし》なき仏門に入ったことを悔まなかったであろうか。しかも世を阻《せば》められた謀叛《むほん》人の娘は、これよりほかに行くべき道は無かったのである。かれは一門滅亡の恨みよりも、若い女として此の恨みに堪えなかったのではあるまいか。
 かれは甘い酒を人に施したが、人からは甘い情けを受けずに終っ
前へ 次へ
全408ページ中182ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング