支倉の家はその子の代に一旦亡びたので、墓の在所《ありか》も久しく不分明であったが、明治二十七年に至って再び発見された。草深い土の中から掘り起したもので、五輪の塔とは云うけれども、地・水・火の三輪をとどむるだけで、風《ふう》・空《くう》の二輪は見当らなかったと云う。今ここに立っているのは其の三個の古い石である。
この墓は発見されてから約二十年になる。その間にはいろいろの人が来て、清い水も供えたであろう、美しい花も捧げたであろう。わたしの手にはなんにも携えていなかった。あいにく四辺《あたり》に何の花もなかったので、わたしは名も知れない雑草のひと束を引き抜いて来て、謹《つつし》んで墓の前に供えた。
秋風は桑の裏葉を白くひるがえして、畑は一面の虫の声に占領されていた。
三人の女
仙台や塩竈《しおがま》や松島で、いろいろの女の話を聞いた。その中で三人の女の話を書いてみる。もとより代表的婦人を選んだという訳でもない、また格別に偉い人間を見いだしたというのでもない、むしろ平凡な人々の身の上を、平凡な筆に因って伝うるに過ぎないのかも知れない。
塩竈街道の燕沢、いわゆる「蒙古の碑」
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