ともしばしばあります。日清戦争には二六新報の遠藤《えんどう》君が威海衛《いかいえい》で戦死しました。日露戦争には松本日報の川島《かわしま》君が沙河で戦死しました。川島君は砲弾の破片に撃たれたのです。私もその時、小銃弾に帽子を撃ち落されましたが、幸いに無事でした。その弾丸がもう一寸《いっすん》と下がっていたら、唯今《ただいま》こんなお話をしてはいられますまい。私のほかにも、こういう危険に遭遇して、危く免れた人々は幾らもあります。殊に今日《こんにち》は空爆ということもありますから、いよいよ油断はなりません。
今度の事変にも、北支に、上海に、もう幾人かの死傷者を出したようです。この事変がどこまで拡大するか知れませんが、従軍記者諸君のあいだに此の以上の犠牲者を出さないようにと、心から祈って居ります。[#地付き](昭和12・8稿・『思ひ出草』所収)
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苦力とシナ兵
一
昨今は到るところで満洲の話が出るので、わたしも在満当時のむかしが思い出されて、いわゆる今昔《こんじゃく》の感が無いでもない。それは文字通りの今昔で、今から約三十年の昔、私は東京日日新聞の従軍記
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