ば歩いた方が早いかも知れません。」と云った。われわれも至極《しごく》同感で、口を揃えてイエス・サアと答えた。
英国紳士は相変らずにやにや笑っているが、我々はもう笑ってはいられない。
「どうかして呉れないかなあ。」
気休めのように列車は少し動き出すかと思うと、又すぐに停まってしまう。どの人もあきあきしたらしく、列車が停まるとみんな車外に出てぶらぶらしていると、それを車内へ追い込むように夏の日光はいよいよ強く照り付けてくる。眼鏡をかけている私もまぶしい位で、早々に元の席へ逃げて帰ると、列車はまた思い出したように動きはじめる。こんな生鈍《なまぬる》い汽車でよく戦争が出来たものだと云う人もある。なにか故障が出来たのだろうと弁護する人もある。戦争中にあまり激しく使われたので、汽車も疲れたのだろうと云う人もある。午前十一時までに目的地のランスに到着する筈の列車が二時間も延着して、午後一時を過ぎる頃にようようその停車場にゆき着いたので、待ち兼ねていた人々は一度にどやどやと降りてゆく。よく見ると、女は四、五人、ほかはみな男ばかりで、いずれも他国の人たちであろう、クックの案内者二人はすべて英語を用いていた。
大きい栗の下をくぐって停車場を出て、一丁ほども白い土の上をたどってゆくと、レストラン・コスモスという新しい料理店のまえに出た。仮普請同様の新築で、裏手の方ではまだ職人が忙がしそうに働いている。一行はここの二階へ案内されて、思い思いにテーブルに着くと、すぐに午餐《ごさん》の皿を運んで来た。空腹のせいか、料理はまずくない。片端から胃の腑へ送り込んで、ミネラルウォーターを飲んでいると、自動車の用意が出来たと知らせてくる。又どやどやと二階を降りると、特別に註文したらしい人たちは普通の自動車に二、三人ずつ乗り込む。われわれ十五、六人は大きい自動車へ一緒に詰め込まれて、ほこりの多い町を通りぬけてゆく。案内者は車の真先《まっさき》に乗っていて、時どきに起立して説明する。
ランスという町について、わたしはなんの知識も有《も》たない。今度の戦争で、一度は敵に占領されたのを、さらにフランスの軍隊が回復したということのほかには、なんにも知らない。したがって、その破壊以前のおもかげを偲ぶことは出来ないが、今見るところでは可なりに美しい繁華な市街であったらしい。それを先ず敵の砲撃で破壊された。味方も退却の際には必要に応じて破壊したに相違ない。そうして、いったん敵に占領された。それを取返そうとして、味方が再び砲撃した。敵が退却の際にまた破壊した。こういう事情で、幾たびかの破壊を繰り返されたランスの町は禍《わざわい》である。市街はほとんど全滅と云ってもよい。ただ僅かに大通りに面した一部分が疎《まば》らに生き残っているばかりで、その他の建物は片端から破壊されてしまった。大火事か大地震のあとでも恐らく斯《こ》うはなるまい、大火事ならば寧《むし》ろ綺麗に灰にしてしまうかも知れない。
滅茶滅茶に叩き毀された無残の形骸《けいがい》をなまじいに留めているだけに痛々しい。無論、砲火に焼かれた場所もあるに相違ないが、なぜその火が更に大きく燃え拡がって、不幸な町の亡骸《なきがら》を火葬にしてしまわなかったか。形見《かたみ》こそ今は仇《あだ》なれ、ランスの町の人たちもおそらく私と同感であろうと思われる。
勿論、町民の大部分はどこへか立ち退いてしまって、破壊された亡骸の跡始末をする者もないらしい。跡始末には巨額の費用を要する仕事であるから、去年の休戦以来、半年以上の時間をあだに過して、いたずらに雨や風や日光のもとにその惨状を晒しているのであろう。敵国から償金を受取って一生懸命に仕事を急いでも、その回復は容易であるまい。
地理を知らない私は――ちっとぐらい知っていても、この場合にはとうてい見当は付くまいと思われるが――自動車の行くままに運ばれて行くばかりで、どこがどうなったのかちっとも判らないが、ヴェスルとか、アシドリュウとか、アノウとかいう町々が、その惨状を最も多く描き出しているらしく見えた。大抵の家は四方の隅々だけを残して、建物全体がくずれ落ちている。なかには傾きかかったままで、破れた壁が辛《から》くも支えられているのもある。家の大部分が黒く焦げながら、不思議にその看板だけが綺麗に焼け残っているのは、却って悲しい思いを誘い出された。
ここらには人も見えない、犬も見えない。骸骨《がいこつ》のように白っぽい破壊のあとが真昼の日のもとにいよいよ白く横たわっているばかりである。この頽《くず》れた建物の下には、おじいさんが先祖伝来と誇っていた古い掛時計も埋められているかも知れない。若い娘の美しい嫁入衣裳も埋められているかも知れない。子供が大切にしていた可愛らしい人形も埋められているか
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