《とし》の市《いち》を観ないでも、餅搗《もちつ》きや煤掃《すすは》きの音を聞かないでも、ふところ手をして絵草紙屋の前に立ちさえすれば、春の来るらしい気分は十分に味わうことが出来たのである。江戸以来の名物たる錦絵がほろびたと云うのは惜しむべきことに相違ないが、わたしは歳晩の巷《ちまた》を行くたびに特にその感を深うするもので、いかに連合大売出しが旗や提灯で飾り立てても、楽隊や蓄音器で囃し立てても、わたしをして一種寂寥の感を覚えしめるのは、東京市中にかの絵草紙屋の店を見いだし得ないためであるらしい。
歳晩の寄席――これにも思い出がある。いつの頃から絶えたか知らないが、昔は所々の寄席に大景物《だいけいぶつ》ということがあった。十二月の下席《しもせき》は大抵休業で、上《かみ》十五日もあまりよい芸人は出席しなかったらしい。そこで、第二流どころの芸人の出席する寄席では、客を寄せる手段として景物を出すのである。
中入りになった時に、いろいろの景品を高座に持ち出し、前座の芸人が客席をまわって、めいめいに籤《くじ》を引かせてあるく。そうして、その籤の番号によって景品をくれるのであるが、そのなかには空くじもたくさんある。中《あた》ったものには、安物の羽子板や、紙鳶や、羽根や、菓子の袋などをくれる。箒や擂《す》りこ木や、鉄瓶や、提灯や、小桶や、薪や、炭俵や、火鉢などもある。安物があたった時は仔細ないが、すこしいい物をひき当てた場合には、空くじの連中が妬《ねた》み半分に声をそろえて、「やってしまえ、やってしまえ。」と呶鳴《どな》る。自分がそれを持ち帰らずに、高座の芸人にやってしまえと云うのである。そう云われて躊躇《ちゅうちょ》していると、芸人たちの方では如才なくお辞儀をして、「どうもありがとうございます。」と、早々にその景品を片付けてしまうので、折角いい籤をひき当てても結局有名無実に終ることが多い。それを見越して、たくさんの景品のうちにはいかさま[#「いかさま」に傍点]物もならべてある。羊羹《ようかん》とみせかけて、実は拍子木を紙につつんだたぐいの物が幾らもあるなどと云うが、まさかそうでもなかったらしい。
わたしも十一の歳のくれに、麹町の万よしという寄席で紙鳶をひき当てたことを覚えている。それは二枚半で、龍という字凧であった。わたしは喜んで高座の前へ受取りにゆくと、客席のなかで例の「や
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