とになっているので、その景品をこれ見よとばかりに積み飾って置く。それがまた馬鹿に景気のいいもので、それに惹《ひ》かされると云うわけでもあるまいが、買手がぞろぞろと繋がってはいる。その混雑は実におびただしいものであった。
それらの商店のうちでも、絵草紙屋――これが最も東京の歳晩を彩《いろど》るもので、東京に育った私たちに取っては生涯忘れ得ない思い出の一つである。絵草紙屋は歳の暮れにかぎられた商売ではないが、どうしても歳の暮れに無くてはならない商売である事を知らなければならない。錦絵の板元《はんもと》では正月を当て込みにいろいろの新版を刷り出して、小売りの絵草紙屋の店先を美しく飾るのが習いで、一枚絵もある、二枚つづきもある、三枚つづきもある。各劇場の春狂言が早くきまっている時には、先廻りをして三枚つづきの似顔絵を出すこともある。そのほかにいろいろの双六《すごろく》も絵草紙屋の店先にかけられる。そのなかには年々歳々おなじ版をかさねているような、例のいろは短歌や道中|双六《すごろく》のたぐいもあるが、何か工夫して新しいものを作り出すことになっているので、武者絵《むしゃえ》双六、名所双六、お化け双六、歌舞伎双六のたぐい、主題はおなじでも画面の違ったものを撰んで作る。ことに歌舞伎双六は羽子板とおなじように、大抵はその年の当り狂言を撰むことになっていて、人物はすべて俳優《やくしゃ》の似顔であること勿論である。その双六だけでも十種、二十種の多きに達して、それらが上に下に右に左に掛け連ねられて、師走の風に軽くそよいでいる。しかもみな彩色《さいしき》の新版であるから、いわゆる千紫万紅《せんしばんこう》の絢爛《けんらん》をきわめたもので、眼も綾《あや》というのはまったく此の事であった。
女子供は勿論、大抵の男でもよくよくの忙がしい人でないかぎりは、おのずとそれに吸い寄せられて、店先に足を停めるのも無理はなかった。絵草紙屋では歌がるたも売る、十六むさしも売る、福笑いも売る、正月の室内の遊び道具はほとんどみなここに備わっていると云うわけであるから、子供のある人にかぎらず、歳晩年始の贈り物を求めるために絵草紙屋の前に立つ人は、朝から晩まで絶え間がなかった。わたしは子供の時に、麹町から神田、日本橋、京橋、それからそれへと絵草紙屋を見てあるいて、とうとう芝《しば》まで行ったことがあった。
歳
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