、飲食店の姐《ねえ》さん達も春は小綺麗な着物に新しい襷《たすき》でも掛けている。それを眺めて、その当時の人々は春だと思っていたのである。
その正月も過ぎ、二月も過ぎ、三月も過ぎ、大通りの柳は日ましに青くなって、世間は四月の春になっても、銀座の町の灯は依然として生暖かい靄の底に沈んでいるばかりで、夜はそぞろ歩きの人もない。ただ賑わうのは毎月三回、出世地蔵の縁日の宵だけであるが、それとても交通不便の時代、遠方から来る人もなく、往来のまん中で犬ころが遊んでいた。
今日の銀座が突然ダーク・チェンジになって、四十余年前の銀座を現出したら、銀ブラ党は定めて驚くことであろう。[#地付き](昭和11・1「文藝春秋」)
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夏季雑題
市中の夏
市中に生まれて市中に暮らして来た私たちは、繁華熱鬧《はんかねつとう》のあいだにもおのずからなる涼味を見いだすことに多年馴らされている。したがって、盛夏の市中生活も遠い山村水郷は勿論、近い郊外に住んでいる人々が想像するほどに苦しいものではないのである。
地方の都市は知らず、東京の市中では朝早くから朝顔《あさがお》売りや草花売りが来る。郊外にも売りに来るが、朝顔売りなどはやはり市中のもので、ほとんど一坪の庭をも持たないような家つづきの狭い町々を背景として、かれらが売り物とする幾鉢かの白や紅やむらさきの花の色が初めてあざやかに浮き出して来るのである。郊外の朝顔売りは絵にならない。夏のあかつきの薄い靄《もや》がようやく剥《は》げて、一町内の家々が大戸《おおど》をあける。店を飾り付ける。水をまく。そうして、きょう一日の活動に取りかかろうとする時、かの朝顔売りや草花売りが早くも車いっぱいの花を運んで来る。花も葉もまだ朝の露が乾かない。それを見て一味《いちみ》の涼を感じないであろうか。
売りに来るものもあれば、無論、買う者もある。買われたひと鉢あるいはふた鉢は、店の主人または娘などに手入れをされて、それから幾日、長ければひと月ふた月のあいだも彼らの店先を飾って、朝夕の涼味を漂わしている。近ごろは店の前の街路樹を利用して、この周囲に小さい花壇を作って、そこに白粉《おしろい》や朝鮮朝顔や鳳仙花《ほうせんか》のたぐいを栽えているのもある。
釣荵《つりしのぶ》は風流に似て俗であるが、東京の夏の景物として詩趣と画趣と涼味とを
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