本来の目的ではありますまいが、その地方では大人でも湯治などに出かける時には持ってゆくと云います。こんなたぐいを穿索《せんさく》したら、各地方にいろいろの面白いものがありましょう。
広東《カントン》製の竹彫りの人形にもなかなか精巧に出来たのがあります。一つの竹の根でいろいろのものを彫り出すのですから、ずいぶん面倒なものであろうかと思いやられますが、わたしの持っているなかでは、蝦蟆《がま》仙人が最も器用に出来ています。先年外国へ行った時にも、なにか面白いものはないかと方々探しあるきましたが、どうもこれはと云うほどのものを見当りませんでした。戦争のために玩具の製造などはほとんど中止されてしまって、どこのおもちゃ屋にも日本製品が跋扈《ばっこ》しているというありさまで、うっかりすると外国からわざわざ日本製を買い込んで来ることになるので、わたしもひどく失望しました。フランスでちっとばかり買って来ましたけれど、取り立てて申し上げるほどのものではありません。
なにか特別の理由があって、一つの人形を大切にする人、または家重代《いえじゅうだい》というようなわけで古い人形を保存する人、一種の骨董《こっとう》趣味で古い人形をあつめる人、ただ何が無しに人形というものに趣味をもって、新古を問わずにあつめる人、かぞえたらばいろいろの種類があることでしょうが、わたしは勿論、その最後の種類に属すべきものです。で、甚だ我田引水《がでんいんすい》のようですが、特別の知識をもって秩序的に研究する人は格別、単にその年代が古いとか、世間にめずらしい品であるとか云うので、特殊の人形を珍重する人はほんとうの人形好きとは云われまいかと思われます。そういう意味で人形を愛するのは、単に一種の骨董癖に過ぎないので、古い硯《すずり》を愛するのも、古い徳利《とっくり》を愛するのも、所詮《しょせん》は同じことになってしまいます。人形はやはりどこまでも人形として可愛がってやらなければなりません。その意味に於いて、人形の新古や、値の高下《こうげ》や、そんなことを論ずるのはそもそも末で、どんな粗製の今戸焼でもどこかに可愛らしいとか面白いとかいう点を発見したならば、連れて帰って可愛がってやることです。
舞楽《ぶがく》の面を毎日眺めていて、とうとう有名な人相見になったとかいう話を聴いていますが、実際いろいろの人形をながめていると、
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