介する。
 柳里恭《りゅうりきょう》の「雲萍雑志《うんぴょうざつし》」のうちに、こんな話がある。
「有馬に湯あみせし時、日くれて湯桁《ゆげた》のうちに、耳目鼻のなき痩法師の、ひとりほと[#「ほと」に傍点]/\と入りたるを見て、余は大いに驚き、物かげよりうかゞふうち、早々湯あみして出でゆく姿、骸骨の絵にたがふところなし。狐狸《こり》どもの我をたぶらかすにやと、その夜は湯にもいらで臥《ふ》しぬ。夜あけて、この事を家あるじに語りければ、それこそ折ふしは来り給ふ人なり。かの女尼は大坂の唐物商人伏見屋てふ家のむすめにて、しかも美人の聞えありけれども、姑《しゅうと》の病みておはせし時、隣より失火ありて、火の早く病床にせまりしかど、助け出さん人もなければ、かの尼とびいりて抱へ出しまゐらせしなり。そのとき焼けたゞれたる傷にて、目は豆粒ばかりに明きて物見え、口は五分ほどあれど食ふに事足り、今年はや七十歳ばかりと聞けりといへるに、いと有難き人とおもひて、後も折ふしは人に語りいでぬ。」
 これは怪談どころか、一種の美談であるが、その事情をなんにも知らないで、暗い風呂場で突然こんな人物に出逢っては、さすがの柳沢権太夫《やなぎさわごんだゆう》もぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としたに相違ない。元来、温泉は病人の入浴するところで、そのなかには右のごとき畸形や異形《いぎょう》の人もまじっていたであろうから、それを誤り伝えて種々の怪談を生み出した例も少なくないであろう。

     五

 次に記《しる》すのは、ほんとうの怪談らしい話である。
 安政《あんせい》三年の初夏である。江戸|番町《ばんちょう》の御厩谷《おんまやだに》に屋敷を持っている二百石の旗本|根津民次郎《ねづたみじろう》は箱根へ湯治に行った。根津はその前年十月二日の夜、本所《ほんじょ》の知人の屋敷を訪問している際に、かのおそろしい大地震に出逢って、幸いに一命に別条はなかったが、左の背から右の腰へかけて打撲傷を負った。
 その当時はさしたることでも無いように思っていたが、翌年の春になっても痛みが本当に去らない。それが打ち身のようになって、暑さ寒さに祟《たた》られては困るというので、支配|頭《がしら》の許可を得て、箱根の温泉で一ヵ月ばかり療養することになったのである。旗本と云っても小身《しょうしん》であるから、伊助《いすけ》という中間《ちゅ
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