再びともして、カーテンの間から窓の外をのぞくと、雨の雫《しずく》は栗の葉をすべって、白い花が暗いなかにほろほろ[#「ほろほろ」に傍点]と落ちていました。
夜の雨、栗の花、蝋燭の灯、アーヴィングの宿った家――わたしは日本を出発してから曾《かつ》て経験したことのないような、しんみりとした安らかな気分になって、沙翁の故郷にこの一夜を明かしました。明くる朝起きてみると、庭には栗の花が一面に白く散っていました。[#地付き](大正八年五月、倫敦にて――大正8・7「読売新聞」)
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ランス紀行
六月七日、午前六時頃にベッドを這《は》い降りて寒暖計をみると八十度。きょうの暑さも思いやられたが、ぐずぐずしてはいられない。同宿のI君をよび起して、早々に顔を洗って、紅茶とパンをのみ込んで、ブルヴァー・ド・クリシーの宿を飛び出したのは七時十五分前であった。
How to See the battlefields――抜目のないトーマス・クックの巴里《パリ》支店では、この四月からこういう計画を立てて、仏蘭西《フランス》戦場の団体見物を勧誘している。われわれもその団体に加入して、きょうこのランスの戦場見物に行こうと思い立ったのである。切符はきのうのうちに買ってあるので、今朝はまっすぐにガル・ド・レストの停車場へ急いでゆく。
宿からはさのみ遠くもないのであるが、パリへ着いてまだ一週間を過ぎない我々には、停車場の方角がよく知れない。おまけに電車はストライキの最中で、一台も運転していない。その影響で、タキシーも容易に見付からない。地図で見当をつけながら、ともかくもガル・ド・レストへゆき着いたのは、七時十五分頃であった。七時二十分までに停車場へ集合するという約束であったが、クックの帽子をかぶった人間は一人もみえない。停車場は無暗《むやみ》に混雑している。おぼつかないフランス語でクックの出張所をたずねたが、はっきりと教えてくれる人がない。そこらをまごまごしているうちに、七時三十分頃であろう、クックの帽子をかぶった大きい男をようよう見付け出して、あの汽車に乗るのだと教えてもらった。
混雑のなかをくぐりぬけて、自分たちの乗るべき線路のプラットホームに立って、先ずほっとした時に、倫敦《ロンドン》で知己《ちき》になったO君とZ君とが写真機械携帯で足早にはいって来た。
「やあ、あなたも
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