して、封建時代に生まれた院本作者が、女主人公を忠義の乳母と定めたのは当然のことである。もし其の作者が現代に生まれて筆を執ったらば、おそらく女主人公を慈愛心の深い真実の母と定めたであろう。とにかく嘘でも本当でも構わない、わたしは「伽羅先代萩《めいぼくせんだいはぎ》」でおなじみの局政岡をこの初子という女に決めてしまった。決めてしまっても差支えがない。
仙台市の町はずれには、到るところに杉の木立と槿《むくげ》の籬《まがき》とが見られる。寺も人家も村落もすべて杉と槿とを背景にしていると云ってもいい。伊達騒動当時の陰謀や暗殺は、すべてこの背景を有する舞台の上に演じられたのであろう。
塩竈神社の神楽
わたしが塩竈の町へ入り込んだのは、松島経営記念大会の第一日であった。碧《あお》暗い海の潮を呑んでいる此の町の家々は彩紙《いろがみ》で造った花紅葉《はなもみじ》を軒にかざって、岸につないだ小船も、水に浮かんだ大船も、ことごとく一種の満艦飾を施していた。帆柱には赤、青、黄、紫、その他いろいろの彩紙が一面に懸け渡されて、秋の朝風に飛ぶようにひらめいている。これを七夕《たなばた》の笹のようだと形容しても、どうも不十分のように思われる。解り易く云えば、子供のもてあそぶ千代紙の何百枚を細かく引き裂いて、四方八方へ一度に吹き散らしたという形であった。
「松島行きの乗合船は今出ます。」と、頻《しき》りに呼んでいる男がある。呼ばれて値を付けている人も大勢あった。
その混雑の中をくぐって、塩竈神社の石段を登った。ここの名物という塩竈や貝多羅葉樹《ばいたらようじゅ》や、泉の三郎の鉄燈籠《かなどうろう》や、いずれも昔から同じもので、再遊のわたしには格別の興味を与えなかったが、本社を拝して横手の広場に出ると、大きな神楽《かぐら》堂には笛と太鼓の音が乱れてきこえた。
「面白そうだ。行って見よう。」
同行の麗水《れいすい》・秋皐《しゅうこう》両君と一緒に、見物人を掻き分けて臆面もなしに前へ出ると、神楽は今や最中《さなか》であった。果たして神楽というのか、舞楽《ぶがく》というのか、わたしにはその区別もよく判らなかったが、とにかくに生まれてから初めてこんなものを見た。
囃子は笛二人、太鼓二人、踊る者は四人で、いずれも鍾馗《しょうき》のような、烏天狗《からすてんぐ》のような、一種不可思議の面《
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