あった。
「治六がゆうべどんなことを言ったのだ」と、彼はまた捜りを入れた。
 あるいは無考えの治六めが今の境界をべらべらしゃべっているのではないかという不安もあった。八橋の口ぶりによると、治六もさすがにそんなことは口外しなかったらしく思われたので、次郎左衛門もまず安心したが、それにしても乗りかかった舟の楫《かじ》を右へも左へも向けることは出来なかった。彼はどこまでも嘘で押し通すよりほかはないので、苦しいながらも前の誓い――偽りの誓いをまた繰り返した。
「さっきもいう通り、来年の三月には国へ帰って身請けの金を持って来る」
「ほんとうざますか」
「嘘はつかない」
 次郎左衛門は息が詰まるほどに苦しくなった。今までは八橋が自分をだましていたのであるが、今は自分が八橋をだましているのである。だまされている身よりも、だましている身の方がどのくらい切《せつ》ないか判らないと、彼はつくづく情けなくなった。彼は夜の明けないうちに逃げ出したくなって来た。
 八橋の方では容易に帰そうとはしなかった。彼女は全く栄之丞を見捨てた証拠だといって、掛守《かけまもり》の中から男の起請《きしょう》を出して見せた。

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