。それがもう出来ないのを知っているから、今もこうして通いつづけている。その入り訳はきのうも宿で言い聞かせてあるのに、うっかりと詰まらないことを浮橋に言い出して、それが八橋の耳へもはいって、おれはいい恥を掻かなければならない事になった。佐野の大尽ともあるべき者が、多寡《たか》が四百両や五百両で大兵庫屋の花魁を請け出そうとした――そんなことが世間へきこえたら廓じゅうの笑い草になる。自分ばかりではない、八橋の恥にもなる。それを思うと、彼は胸が煮え返るように腹立たしかった。
「一年まえのおれだったら、治六の奴め、生かして置くものか」と、彼はいきまいた。
まったく一年まえの彼であったら、憎い治六の襟髪を掴《つか》んで、大道《だいどう》へ引き摺り出して踏み殺すか。又は身を放さない村正の一刀を引き抜いて、彼をまっ二つに断ちはなすか。二つに一つの成敗《せいばい》を猶予するような次郎左衛門ではなかった。十両の金をくれて長《なが》の暇《いとま》は、この主人としては勿体ないほどに有難い慈悲の捌《さば》きであった。
もうこうなったら男の意地としても、彼は八橋を請け出さなければ顔が立たないように思われた。い
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