った。子分にも片腕になって働くような者が一人もできなかった。彼はいつまでも孤立の頼りない地位に立っていた。彼は吝《けち》でないので、ずいぶん思い切って金を遣った。しかもその縄張りは余り広くないので、収支がとても償《つぐな》わない。彼の身代はますます削《けず》られてゆくばかりであった。その上に彼は吉原狂いを始めた。
去年の春、彼は治六とほかに二、三人の子分を連れて江戸見物に出た。この佐野屋に宿を取って、彼はその頃の旅人がみんなするように、花の吉原の夜桜を観に行った。江戸めずらしいこのひと群れは誰也行燈《たそやあんどう》の灯《ほ》かげをさまよって、浮かれ烏の塒《ねぐら》をたずねた末に、仲《なか》の町《ちょう》の立花屋という引手茶屋《ひきてぢゃや》から送られて、江戸町《えどちょう》二丁目の大兵庫屋《おおひょうごや》にあがった。次郎左衛門の相方《あいかた》は八橋《やつはし》という若い美しい遊女であった。八橋は彼を好ましい客とも思わなかったが、別に疎略にも扱わなかった。彼はひととおりに遊んで無事に帰った。
江戸のよし原のいわゆる花魁《おいらん》なるものが、野州在の女ばかりを見馴れていた彼の眼
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