年前に或る浪人から百両で買ったもので、持ち主は家重代《いえじゅうだい》だと言った。水も溜まらぬ切れ味というので、籠釣瓶《かごつるべ》という銘が付いていた。次郎左衛門はこの籠釣瓶で、博奕場の喧嘩に六、七人傷つけたことがあった。彼は幾|口《ふり》も持っている刀のうちでも、これを最も秘蔵の業物《わざもの》としていたので、去年故郷を退転する時にも余の刀はみんな手放してしまって、籠釣瓶だけを身につけて来たのであった。
「もうこの上は、籠釣瓶を手放すよりほかはない」
 村正は徳川家に祟《たた》るという奇怪な伝説があるので、江戸の侍は村正を不祥《ふしょう》の刀として忌むことになっているが、他国の藩士はさのみ頓着しないから、いい相手を見付ければ相当の高値に売れる。刀屋へ捨て売りにしても四、五十両のものはある。ここで思い切って籠釣瓶を手放す事にすれば吉原へも行かれる、当分の小遣いにも困らない。自分のからだと籠釣瓶と、この二つしか残っていない彼は、どうしても籠釣瓶と別れを告げるよりほかに仕様はなかった。しかし彼は辛かった。籠釣瓶に別れるのは兄弟に別れるよりも辛《つら》かった。この長いものを横たえて野州に男
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