お光は八橋と文通をしていた。兄の使いで吉原へ行ったこともあった。
「いや、それにも及ぶまい。わたしからそのうちに知らせてやる。廓の者は無考えだから、お前の奉公さきへ返事などをよこされると迷惑だ。まあ止した方がよかろう」
「そうでございますねえ」
 お光はおとなしく黙ってしまった。

     六

 次郎左衛門はその明くる日も、またその明くる日も流連《いつづけ》をして帰った。馬喰町の佐野屋の閾《しきい》をまたいだのは、師走の二十四日の四つ頃(午前十時)で、彼は近所の銭湯へ行って、帰るとすぐに夕方まで高いびきで寝てしまった。
「治六さん。相変らず長逗留だったね」と、佐野屋の亭主が顔をしかめてささやいた。
「どうも仕方がねえ」と、治六もあきらめたように溜め息をついていた。しかしただ諦めてはいられないので、彼は亭主になんとかいい工夫はあるまいかと更に相談した。
「いっそ、その花魁を請け出したらどうだろう」
 亭主はしまいにそんなことを言い出した。こういう風にだらしなく金をつかっていたら、千両が二千両でも堪まったものではない。いっそ千両の金をたんと減らさないうちに八橋を請け出してしまって、残った金でどんな小商いでもはじめる。その方が却って無事かも知れないと彼は言った。
 治六も考えた。さきおとといからの流連でも、自分が恐れていたほどに金は懸からなかった。ここの亭主に預けてある五百両のほかに、まだ百六七十両は確かに残っている。もし四、五百両ぐらいで、そっと八橋の身請《みう》けができるものならば、いっそそうした方が無事かも知れないと考えた。
「花魁の身請けは幾らぐらいかかるだろうね」と、彼は試みに亭主に訊いた。
 亭主も首をひねった。幾らの金があればこの問題が解決するのか、彼にも確かな見当は付かなかった。百両で身請けのできるのもあれば、千両かかるのもある。しかし、吉原で大兵庫屋の花魁を請け出すという以上は、何かの雑用《ぞうよう》を見積もって、まず千両仕事であるらしく思われた。その話を聴いて、治六も同じく首をかしげた。
「千両かかっちゃあ大変だ。どうにもならねえ」
 もともと千両しかない金のうちが、もう三分の一ほどは食い込んでいる。千両の身請けはとてもできない。たとい残りの三分の二で、どうやらこうやら埒が明いたところで、主人と花魁と自分との三人が一文なしではどうにもならない。して
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