んだ。それは確かに頼みました。しかし佐野の身代の潰れたことまで吹聴《ふいちょう》して貰おうとは思わなかった。そこに念を押して置かなかったのが私の手落ちであったが、わたしはただ何と付かずにお前さんから八橋を請け出して、こっちへ渡して貰おうと思っていたのだ。それは手前勝手に相違ない。わたしもそれを百も承知しているから、大《だい》の男が手をさげてお頼み申したのだ。否《いや》なら否だと何故《なぜ》きっぱり断わっておくんなさらない。愚痴を言うようだが、わたしは恨みに思いますよ」
 恨まれては迷惑である。なんだか怖ろしくもある。栄之丞も一応の言い訳をしないではいられなかった。
「いや、お言葉ではございますが、当節のわたくしに何百両という金の才覚の届こう筈はございません。それは八橋もよく知っております。金の出どころ、身請け人の身許を正直に打明けませんでは、とても得心いたすまいと存じまして……」
「それはよろしい。判っています。身請けの相手が次郎左衛門ということを隠して下さるには及ばない。しかし次郎左衛門の身代の潰れたことまでは……。いや、それもどうで遅かれ早かれ知れることで、秘し隠しにしようとするのは卑怯というもの。わたしが自身の口からは言いにくいことを、いっそあなたが打明けて下されば却って仕合せかも知れません。今のは言い過ぎで、どうぞ悪しからず思ってください」
 案外にもろく折れられて、栄之丞もほっ[#「ほっ」に傍点]とした。次郎左衛門はふいと、こう言い出した。
「そこで、栄之丞さん。わたしの方でも卑怯なことはやめにして、こうして三人|三鼎《みつがなえ》で何もかも打明けて相談することにしましょうから、あなたの方でも卑怯なことは止して下さい。これからも末長くおつきあいを願おうと思っているのに、お互いに仇同士のような料簡をもっていては、どうも面白くありませんからね。この次郎左衛門に意趣遺恨があったら、どうぞ遠慮なしに真正面《まとも》からぶつかって来て下さい。ようござんすか。なんでもまともから男らしく……薄っ暗い所で卑怯な真似をしないで」
 奥歯に物の挟まった言いようである。自分は次郎左衛門に対して、薄暗い所で卑怯な真似をした憶えはない。それには何か思い違いがあるに相違ないと栄之丞は思った。誰に対しても、自分が恨まれているというのは快《こころよ》くないことであるが、取り分けてこの次郎
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