いたお豊は振りむいた。
「あれ、いらっしゃいまし。」
 迎い入れられて、又次郎は竹縁に腰をおろした。
「風がすこし凪《な》いだので、角蔵は沖へ出ましたが、また吹出したようでございます。」と、お豊は言った。「いえ、もう、冬の海商売は半休みも同様でございます。」
「お蝶はどうした。」
「さっきお宿へ出ました留守のあいだに、どこへか出まして帰りません。」
 果たして案《あん》の通りであると、又次郎は思った。
「お蝶はこのごろ達者かな。」と、彼はそれとなく探りを入れた。
「はい。おかげさまで達者でございます。」
「別に変ったこともないか。」
「はい。」
 母はなんにも知らないらしいので、又次郎は困った。知らぬが仏とは、まったくこの事である。その仏のような母にむかって、おまえの娘は乱心していると明らさまに言い聞かせるのは、余り残酷のような気がしてきたので、彼はすこしく言いしぶった。お豊にたずねられるままに、彼は江戸の噂などをして、結局肝腎の問題には触れないで立ち帰ることになった。
「角蔵にもし用がなかったら、今夜たずねてくるように言ってくれ、少し話して置きたいことがあるから。」と、又次郎は立ちぎ
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