こで、地勢の関係かどうか知らないが、江戸へ飛んでくる鷲の類は、深川|洲崎《すざき》の方面、または大森羽田の方面に多く、おそらく安房《あわ》上総《かずさ》の山々から海を渡って来るのであろうと伝えられていた。たとい人間をつかむという例は比較的に少ないにしても、人家の飼鳥《かいどり》や野生の鳥類をつかみ去ることは珍らしくない。それらの害を払うためと、もう一つには御鷹場《おたかば》あらしを防ぐために、幕府の命令によって鷲撃ちが行なわれることになっていた。
 将軍家の例として、毎年の冬から春にかけて鷹狩が催されるのであるが、その鷹場付近に大鷲が徘徊《はいかい》して、種々の野鳥をつかみ去られては、折角の鷹狩の獲物《えもの》を失うばかりか、無事の野鳥も四方へ逃げ散るおそれがあるので、前以ってかれらを捕獲し、あるいは駆逐するのである。この時代のことであるから鷲撃ちの目的は前者よりもむしろ後者にあって、御鷹場あらしを防ぐということが第一義であったかも知れない。また一説によれば、それによって鉄砲の実地練習を試みるのであるともいう。いずれにしても、秋から冬にかけて、鉄砲方の面々は年々交代で羽田または洲崎の方面に出張し、鷲の飛んで来るのを待ち受けて、強薬《つよぐすり》で撃ち落すのである。
 飛行機などのなかった時代の武士にとっては、この鷲撃ちの役目は敵の飛行機を待つと同様で、与力一騎に同心四人が附添い、それがひと組となって、鉄砲はもちろん遠眼鏡《とおめがね》をも用意し、昼も夜も油断なく警戒しているのである。その警戒の方法は時代によって多少の相違があったらしいが、ともかくも普通の獣狩《けものがり》とは違って、相手が飛行自在の猛鳥であるから、ぎょうぎょうしく立ち騒いで、かれらをおどろかすのは禁物である。かれらが油断して近寄るところを待受けて、ただ一発に撃ち落さなけれはならない。ついては、その本陣の詰所を土地の庄屋または大百姓《おおびゃくしょう》の家に置き、当番の組々がひそかにめいめいの持場《もちば》を固めることになっていた。官命とはいいながら、何分にも殺生《せっしょう》の仕事であるから、寺院を詰所に宛てるのを遠慮するのが例であった。
 ことしも九月からの鷲撃ちが始められた。和田弥太郎は年番にあたったが、古参であるからまだ出ない。最初の九月は未熟の新参者が勤めることになっているのは、めったに鷲が
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