切らせる覚悟であったらしい。彼が平生の気性を知っている織衛は、それを察して気の毒にも思ったが、今更なんと言って慰める言葉もなかった。房八郎の師弟と織衛の主従とは相前後して鬼婆横町にはいると、その中程まで来かかった時に、織衛の中間は立ちどまって提灯をむこうへ差向けて、「あれ、あすこに……。」と、ややおびえたような声でささやいた。
 大溝のふちには白い物が坐っていた。それが問題の妖婆かと、織衛がきっと見定めるひまもなく、房八郎は弟子に声をかけた。
「矢上、それ。」
 師匠と弟子は走りかかって、左右からかの怪物を取押えると、怪物はのめるようにぐたりと前に倒れた。倒れると共に、それを埋めている雪の衣は崩れ落ちて、提灯の火の前にその正体をあらわした。彼は石川房之丞で、見ごとに腹をかき切っていた。ゆうべから何処に忍んでいて、いつこのところへ立戻って来たのか知らないが、彼はあたかもかの妖婆が坐っていたらしい所をえらんで、おなじように坐って、同じように雪に埋められて、真っ白になって死んでいたのであった。
 四人は黙って顔をみあわせていた。
 この事件あって以来、鬼婆横町の名がさらに世間に広まったが、雪
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